
押韻の魅力をもっと取り入れたい
短歌もまた「うた」である。
意味にとらわれがちな私はこれをどうしても忘れがちである。何か詠みたい情景、伝えたい情報があるときに、言葉の選択基準に意味を重視しすぎるきらいがある(もちろん意味も重要だが)
愛読している木下龍也の『天才による凡人のための短歌教室』で勧められている短歌の中でも、なかなか入手できないもののひとつが奥村晃作のものだ。彼はTwitterをやっており、フォローさせてもらっている。つぶやきの頻度も高い。
そんな奥村晃作の先日のツイートのひとつがこちら。
現代短歌は新しい
— 奥村晃作 (@okumura80kousak) June 22, 2021
𠮷田恭大歌集 ① 『光と私語』(2019年3月 いぬのせなか座)
約束はできないけれどまた行こう 都下に散らばるプラネタリウム
(彼女と共に観終え、プラネタリウムを出た折の歌であろうか。上の句実に正直な表現。下の句が秀逸。特に四句の「チかにチらばる」の強烈な押韻が魅力)
そう、やはり押韻を踏んだ短歌は魅力的なのだ。私も自作にもう少しこれを取り入れられるようになりたい。言葉を選ぶとき、語順を考えるとき、意味のみならず、押韻をはじめとする「うた」ならではの要素や魅力に、ちゃんと気づかいができるようになりたい。
そう思いつつ、今日も短歌を考えている。