「まいつき短歌祭」第6回のテーマ詠「炎」から「推し短」を選ぶ
歌人・武田ひかが主催をつとめる「まいつき短歌祭」のスピンオフ企画として、現在進行中の企画「推し短」。
自由詠部門とテーマ詠「炎」部門に応募された短歌それぞれから、好きな短歌を好きなだけ選んで、それにハッシュタグ「#まいつき短歌祭」「#推し短」をつけて呟く、というもの。
昨日は、自由詠部門の中から、駆け出し歌人の私なりに選んだ「押し短」15首を紹介する記事をあげさせてもらった。
今日は、テーマ詠「炎」部門から、私なりの選んだ「推し短」16首を書いていきたいと思う。なお、企画についての詳しい説明は、武田ひかのこちらのnote記事に詳しい。応募短歌をまとめたPDFファイルもこちらで閲覧できる。
まずは、16首の中から、特に好きな短歌を2つ。まずは、自由詠8のこちら。燃えさかる炎に対して感じる原初的な畏れも、文字に象徴されるような観念的な怖れも感じられた。そして、「八月」という(戦後)日本人にとって特別な意味を持つ季節が記されることで、(戦後)日本人に刻まれた恐れも描かれているように思えた。シンプルなようでいて多層的。
8. 火をふたつ書きて炎と教われば恐ろしき八月の朝焼け
それからもう1つは、自由詠164のこちら。笑えるんだけどなんだか怖い。真顔っていうのが怖い。おそらく理科の授業でこの先生は毎年このアクションをやっていて、慣れきっているのだろうけど、よく考えてみると、日常で一般人がしないようなことを平然としている。真顔で。歌人・穂村弘の言うところの「怖い短歌はいい短歌」ですね、やはり。
164. 先生が真顔で倒すガスバーナー「大丈夫ですこの机なら」
残りの14首はこちら。自由詠83は手塚治虫『ブッダ』の冒頭のうさぎのエピソードと重なるものがある。自由詠123の「あかるさはほろびのすがた」と自由詠174の「永久焦土」のフレーズにはやられた。自由詠147の突然の「製鉄所」にどきりとしつつなんだか腑に落ちる。自由詠155はまるで短編小説のように鮮やかなラスト。
それから自由詠144はどう読むか少し迷っている。「淡墨の炎」そして「真夏の静か」とは、いわゆる書道や水墨画の技法として淡墨で炎を描いていて、その静かな炎のことなのか、それとも、夏の訃報に香典の文字を淡墨(この場合正確には薄墨か)で書いているときに、感情の揺らぎが一瞬文字に炎のように現れて、そのあとの静けさなのか。どちらにしても好きな短歌だったので選ばせてもらったが、機会があれば作者に聞いてみたい。
48. 停電でロウソクの炎灯されて百物語めく会議室
61. これが火か炎なのかを決めるのはぼくだったのだ ばかでかい月
83. 燃えさかるうさぎを抱いて嘘吐きは喚く、ゆるすな、おれをゆるすな
91. 六月の梅の焚き木は燃えながらかすかに春の匂いをたてる
97. 燃え上がる赤い柱は意思を持つマイムマイムは永遠のよう
100. 髪を焼く匂ひがわれのうちがはの炎をもつと尖らせてゆく
114. ランタンに炎を入れるように飼う青い闘魚をそしてあなたを
123. あかるさはほろびのすがた ほのほほのほ きみが笑つて振り回す恋
144. 淡墨の炎寸瞬揺らめいて筆の先から真夏の静か
147. 手を高く振り上げてからあなたの言うさよならの奥にある製鉄所
155. ハイライト19本はあげるから、1つもらうね。火葬場(やきば)の煙
170. 日没が過呼吸じみてもだえたら逃げ水になって走るんですよ
174. はつゆきが永久焦土に降る様をふたり見ていた肺を灼くまで
177. 陽炎も木枯らしもないこの道をまことしやかに私がゆく
こちらも、177首の中に自作の短歌はあるのですが、うーん……やはり力量不足は否めないですね。
総じて、「炎」というお題は難しいお題なのかな、と感じた。共通認識・共有体験の範囲での「炎」はありきたりすぎるし、個々人にとっての特別な「炎」はあまりに特殊になりすぎる(=共有されにくい)のかもな、と思ったりしている。
さて、テーマ詠「炎」では、歌人・千種創一はどれを選び、どのように評するのか、今からとても楽しみです。
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