一首評:谷じゃこ「つよくいきる」より
実は吉幾三は日本にとっての「呪い」なのではないか、という短歌。
「こんな村いやだ」というフレーズ。本来であれば、自分が住む村への嫌悪の表明でしかないはずだが、現代の日本人にとっては、吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』のワンフレーズとしか思えなくなってしまっている。
吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』はバブル景気へと向かう直前の1984年に発売され、大ヒット曲となる。日本の初期ラップサウンドとも言われるこの曲は、発売からまもなく40年が経とうとしているが、ネットのパロディ動画などでも度々引用され、今もなお誰もがどこかで一度は聴いたことがあるものなのではないだろうか。
そんな楽曲のワンフレーズでもあるからこそ「こんな村いやだ」という考えが頭に浮かぶたびに、吉幾三を思い出してしまう。
しかも、1984年にヒットしてあちこちのテレビ番組で吉幾三が出演した時の、ニッカポッカに消防団の羽織、ねじり鉢巻にレイバンもどきのようなサングラスという、「田舎のおっさん」をコミカライズしたようないでたちとワンセットで思い出してしまうのだ。
それをこのうたでは「吉幾三を思い出す」といったありきたりな表現は避けて、「空は吉幾三のサングラス色」と巧みに表現している。
さて、このうた、かようにコミカルなイメージのものではある。
ではあるが、果たして、このような思考パターン・連想ゲームに日本人が1984年からずっと陥ってしまっているとしたら、それは本当に笑い事で済むのだろうか。
古い因習に囚われていたり、悪い意味で保守的であったりして、住み続けるには居心地の悪い田舎は、昔から多々ある。1984年の頃に限らず、今もなお(いや、人口減少時代の今だからこそ)過疎高齢化に悩む地方も数多い。
そんなところに生まれ育った人が「こんな村いやだ」と批判的に考えることは、ごく自然なことだ。そして本来であればそこから、ある者は一度外の世界に出てみたり、ある者は「こんな村」を変えようと務めたりするはずだ。
だが、「こんな村いやだ」のフレーズとともに、そこに吉幾三がやってくるのだ。
自らの住む場所への切実な批判は、一気に戯画化され、矮小化される。吉幾三に罪はまったくないが、あの楽曲はそんな装置として機能してしまっている。
だから私は冒頭で書いたのだ。吉幾三は呪いである、と。
「こんな村いやだ」と切実に思っても、吉幾三があのコミカルな「田舎のおっさん」姿でやってきて、愉快に歌う。その吉幾三からみた景色と同じサングラス色で染め上げられた空は、なんと滑稽で閉塞的な空だろうか。
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