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一首評:吉川宏志「曳舟」より

このまま曳いていくしかない舟に紫苑の花を載せてゆくんだ

吉川宏志「曳舟」より(『曳舟』収録)

音の並びが場面の美しさや鮮やかさを演出することに気づかされた歌。

今回は、自分の無知を晒す話から始めることにする。

私は最初この短歌を読んだ時に「紫苑」を「しえん」と読んでいた。花の名前である「シオン」とこの漢字表記が結びつけることができなかったからだ。

そして「しえん」と読んでいたうちは、この短歌はそれほど私の中に響いてこなかった。

それでもなんとなく気になって「紫苑」の読みを調べてみた。そこで初めて「紫苑」は「しおん」と読むことを知り、もう一度この短歌を口ずさんでみた。

その瞬間

一気に頭の中に、たくさんの紫の花を載せた舟がゆっくりと曳かれてゆくイメージが頭の中に立ち上がったのだ。

面白いのは、この時点でもまだ私は紫苑の具体的なビジュアルを知っていない。ネットで画像検索をして紫苑の具体的なビジュアルを知ったのは、鮮やかなイメージが頭に浮かんだ後のことなのだ。

つまり、(私の中で)「しえん」から「しおん」へ、「e」から「o」へ音が変化しただけで、強烈なイメージが立ち上がったことになる。

ここで、この短歌における母音の並びを見てみる。

上の句で、母音だけ拾うとこうなる。
「ooaaiieiuiaaiuei」
「o」が2回、「a」が4回、「i」が6回、「e」が2回、「u」が2回だ。

上の句の母音の並びで特徴的なのは「o」行音が冒頭に出てきて以降は出てこない点と、「i」行音の多さだ。

特に「i」行音の多さは、上の句が字足らず(475)であることも相まって、ある種の切迫感や緊張感を感じさせる。

だがこのあとの下の句、母音(と撥音)を拾うとこうなる。
「ionoaaooeeuuna」
「o」が4回、「a」が3回、「i」が1回、「e」が2回、「u」が2回、「n」が2回だ。

今度は一転して「i」行音がほとんどなくなり、「o」行音が増える。加えて上の句では一度も現れなかった撥音の「n」が現れる。

特に下の句2個目の「o」音ここで世界が鮮やかに切り替わるのだ。「i」行音の緊張感のある世界から、「o」行音の少し優しい世界へ。音楽ならば楽章が変わるようなイメージだ。

確かにここを間違えて「e」音で読んでしまっては、この鮮やかな切り替えがもたつく。だから間違えて読んでいたうちは、私にはいまひとつピンとこなかったのだろう。

この短歌は、意味については正直まだうまく読み取れない。曳いていく舟が何を象徴するものなのか……人生や時間のような抽象的なものかもしれないし、自分と人生を共にする誰か(何か)かもしれない、棺のようなものもイメージされうる。そこにのせる花がなぜ紫苑なのか、それもわかるようでわからない。

でも、意味はわからなくとも、このうたは美しく鮮やかで、少し切ない。それは感じる。そしてそれを感じさせるのは、このうたにおける巧妙に配置された音の並びの力のおかげなのではないだろうか。


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