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【ネタバレ注意!】アニメ「宇宙よりも遠い場所」好きなシーン・考察【1~5話】

秒数は動画配信サービスでの秒数を基準にしています。ズレてたらごめん。

1話
17:25~17:45
公園の休憩場みたいな椅子から報瀬が立ち上がって「言いたい人には言わせておけばいい。今に見てろって熱くなれる。そっちの方がずっといい」「じゃあ、一緒に行く?」と言うシーン
このシーンで報瀬がベンチから立ち上がったのは下記2つの理由と考察。
①無意識に動くことで、一時的な心的負担を軽減しようとしたから。
②自分の表情や考えを悟られないように、一瞬自身の顔を見せないようにしたかったから。
「じゃあ、一緒に行く?」という発言について、キマリ視点では自分の人生が変わる予感で解釈されているし、アニメでもそう描写されているが、報瀬視点では「今からする提案に乗ってくれるか、やっぱりやめとくと言うか、その回答によっては友達になれそうな子を失う経験をまたすることになるけど、言ってみよう!」という賭けをした瞬間である。

2話
12:28~12:35
日向とキマリが改札を通り、Suicaの残金が出るシーン
日向はフリーターのため定期は持っておらず、残金を多くチャージする必要があり、キマリは学生で基本的に定期区間しか使わないため全然チャージされていない。また、日向はアルバイトによりお小遣い制のキマリより収入が多い(お小遣い制の場合Suicaのチャージは最低限に留める可能性が高い)ことも表現されている。経験してきた事も性格も大きく異なるのに、一緒の方向を歩こうとしていることが描かれており好きなシーン。

18:07~18:10
歌舞伎町の歩道橋をキマリが走るシーン
「毎日見ている景色が目まぐるしく変わっていって」と言っている猛ダッシュするシーン。電柱のようなものを敢えて手前にボケさせて配置される。カメラを少し動かしつつ、キマリが画面右方向へ走って、電柱左半分の世界から電柱右半分の世界へ飛び込んでいくように見える構図が大変美しい。写真の世界だと手前に障害物が入るのはあんまりよくないのですが、動画だとこういうのもアリなのね…と。新しい世界に飛び込んでいく!というのを映像でここまで端的に表すのにセンスを感じた。


3話
9:28~9:36
駅の中で、日向「端的にって言ってただろ?ほかに言いたくない理由があるってことだよ」キマリ「日向ちゃん大人~」報瀬「理由って?」日向「それは分からないけどさ」と話すシーン
3人のうち理詰めで相手の心境を推察したり、交渉する余地を探すのに長けているのは日向なのは間違いないだろう。しかし、この能力は日向自身の過去のしくじりから培った経験値が起因しているとも考えられ、察知する能力を褒められたり、頼られると自分の傷口を見られたような気になり戸惑ってしまうリアクションが大変リアルである。
余談だが、この後の10:24で報瀬と日向は初めて手をつなぎます。
これはもう…。

14:28~14:33
ファミレスで、キマリ「ね」報瀬「ね」日向「ね」と言い合うシーン
結月に「皆さん親友同士じゃないですか!」と言われて、報瀬と日向は出会って間もないし遊びに行ったわけでもないと否定しつつ、「ただ同じところに向かおうとしているだけ、今のところは、ね」とキマリが発言するシーン。
このあとに、それに報瀬と日向が「ね」のみで同意する様子を、結月が見て「(遊びに行ったりしていないのに、友達同士の連携ができている…!)」とポジティブな衝撃と感動を受けているシーンだ。
回想を見る限り、即物的・無機質的な対応をこれまで結月は受けてきたらしく、友達になると行間を多く読み飛ばすようなコミュニケーションもできる事も、実はこの序盤でヒントを得たのだろう。

4話
0:10~0:12
南極チャレンジのスポンサーが決まりそうなネット記事を見る日向のシーン
作中のレポートを行う場面で何度か「キャッチーでウィットに富み、センセーショナルな」という言葉が出てくるが、スポンサーのペンギン饅頭を扱う七神屋のCMでこのセリフを用いているため、宣伝として台本に書かれているのだと推察できる。それに目を通すのが一番情報に敏感そうな日向というのも良くできている(ネットの記事を逐一見せてきためぐっちゃんが、この記事をキマリに見せるシーンがないのもある意味フラグであり良くできている)

5話
15:32
路上にあるカーブミラーでキマリとめぐっちゃんが一緒に移るシーン

作中、何度もカミングアウトのフラグがあっためぐっちゃん。このまま言えないまま…という表情も垣間見えていたし、キマリが怒るきっかけを突破口に自分も今までやってきた事をぶちまけてしまおうとして失敗していた。
鏡は自分自身を映すことから、自己との対話や理性で抑え込まない心境を吐露する場面の象徴と解釈可能。しかし、一般的には大きい姿鏡などを用いることが多い。

宇宙よりも遠い場所の5話では、キマリが一歩踏み出して成長した比喩として、通常の鏡と比較して自分自身が小さく映る(特にめぐっちゃんは小さく描かれている)、通常の鏡より視野が広く行き先(=道路の行く先やまだ見ぬ世界、これから足を踏み入れる世界)も見ることができるカーブミラーを使用したのではないかと考察。
カーブミラーの前で、濁りのない目で自身を見つめながらキマリがめぐっちゃんへの依存や自立への意図を語ったこのシーンから、めぐっちゃんも諦めて自分を見つめなおしたのだと考察。まさかカーブミラーをそう使うとは…と驚かされたシーン。

21:02~21:12
報瀬が家からでて、報瀬の祖母が仏壇に手を合わせるシーン
報瀬は家から出るタイミングでも亡き母へメールを送信している。1話からずっと報瀬は母親にメールを送っているが、これは母親の死を受け入れられていない証拠なのは視聴者全員の共通認識と思慮。もし受け入れているなら、報瀬の祖母と一緒に仏壇に手を合わせているはず。「葬式は遺族のためにするもの」という言葉がある。遺族は葬式を経て棺を埋めたり燃やしたりして、遺体が消滅する過程を見ることで死を受け入れる、というものである。
一方で、報瀬の祖母は仏壇に手を合わせている。先祖も含むとは思うが、「報瀬が南極に行くから見守ってやってほしい」と、娘は死んだものとして完全に祖母は受け入れている。
もし、ただの反抗期で仏壇に手を合わせず遊んでるなら、「一緒に仏壇に手を合わせなさい!」とお説教ができるが、行方不明で南極に行く動機にも関与しているため、手を合わせろとは言えないのだと考察。もしくは過去に1度言って関係にひびが入りそうになったかのどちらか。

いずれにせよ、同じ人物にメッセージを送るという点は同じであるはずなのに、対象人物への死生観だけで行動が180°変わる演出が大変良かった

6話以降はまた今度。今日はもうネルソン=マンデラ。

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