別れの日は晴れた日がいいだろう 1
斎場にて数珠を手に拝む。
あの人は大きく引きのばされた写真の中微笑んでいる。
-この話はあたしが十五年前に知ったこの女性の話。
じじいが死んだ。
死因は、餅をのどに詰まらせて。
あっけない死に様だった。
気付いたら、こたつに入ったまま、寝ている状態で死んでいた。そのまま救急車で運ばれていったけれど、搬送先の病院で医者に、
「ご臨終です。」
と、言われた。
あたし達家族―じじいの長男であるお父さん、そして、お母さん、弟の明、あたしは黙ってその場に立ちつくしていたけれど、じじいの妻だったおばあちゃんだけは、病院の廊下でずっと泣いていた。
ざまあみやがれ、と、あたしは内心思っていた。多分、明だってそうだったと思う。じじいは子どもが嫌いだった。だから、あたし達姉弟は、じじいと一緒に暮らしていたにもかかわらず、あまり可愛がられた記憶がない。嫌味を言われたことのほうが多かったと思う。「うるさい」だの、テストで九十七点だった時なんて、「百点じゃなきゃ零点と同じだ。」とまで言われた。
お母さんだって、本当はせいせいしたと思う。じじいは息子の嫁いびりをしていた。「部屋が汚い」だの、「味噌汁の味が薄い」だのやかましいったらありゃしなかった。そして、じじいに息子であるお父さんは、「けったいな嫁もらってきたものだな」と事あるごとに言われていた。お父さんだって不愉快だったと思う。
そもそも、じじいとおばあちゃんの結婚は三十過ぎても結婚しない、じじいを見かねたじじいのお父さん、つまり、あたしのひいおじいちゃんが、無理矢理、おばあちゃんとお見合い結婚させたものだった。
あまり、認めたくないのだが、昔のじじいは、かなりの美青年だった。おばあちゃんはお見合いした時、じじいに一目惚れしたそうだ。じじいも一見、人当たりのよい人間だったため、この縁談はすぐに決まった。
しかし、結婚してみてすぐに、じじいの性格は露呈した。冷酷野郎ってことが。
以前、あたしが探し物をしていて、おばあちゃんの昔の日記帳を見つけて読んだことがある。じじいと結婚して二年後くらいの日記で、“俊春さんと結婚して今日で二年になるけれど、結婚したのに、まるで片思いのようだ。”と、書いてあった。