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【10クラ】第25回✨1周年記念✨大人かキャンディか
10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
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第25回 大人かキャンディか
✨10クラ配信1周年ありがとうございます✨
2021年12月10日配信
収録曲
♫ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:フランス民謡「ああ、お母さん聞いて」の主題による12の変奏曲(きらきら星変奏曲)K.265
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
今日は恋多き作曲家の恋の変奏曲。
『きらきら星』の歌詞は日本特有のもので、モーツァルトの時代にはまだ存在していない。
フランスで広く親しまれていたシャンソン
『ああ、お母さん聞いて』
は、屈託のない少女が恋心を母親に打ち明けている様子を描いているが、フランスならではの言葉の裏側を汲むのもまた楽しみのひとつと言えるだろう。
モーツァルトの置かれた状況を推し量ってみるのもまた然り。
―お父さんは大人のように分別を持ちなさい、というけれど、私はキャンディのほうがずっと価値があるように思うの―
この少女は母親に「初めての恋の悩み」をこのように伝えている。
モーツァルトは恋多き作曲家だった。オペラにはそれが色濃く表れている。
それに加えて私にとっての大きな興味は、この作品が書かれる2,3年前に、モーツァルトが人生の一大事をふたつ経験していることである。
ひとつはモーツァルトが結婚まで考えた歌姫アロイジア・ヴェーバーとの破局。
もうひとつは最愛の母との死別である。
幼いころから神童と名高かったモーツァルトは、アロイジアのプリマドンナとしての活動も支えていきたいと公言していた。
英才教育から演奏機会の設定まで、手塩にかけて育て上げている父親レオポルトが、恋にのぼせ上がった息子の結婚話に猛反対するのは想像に難くない。
音楽家として生きていくことに集中し、パリへ渡って修行をするようにという猛烈な反対を受け、やがてふたりは破局をむかえた。
いまでこそ結婚は当人同士の自由というが、そんなに簡単な話でもなければ、音楽家もレオポルトの言うように、公私のサポートをし合うことを容易に約束することなどできない職業である。
厳しい父親に対し、常に心の支えだった母親を同時期に失ったモーツァルトは、ひどくふさぎ込んだ。
この2点を踏まえて今日の変奏曲を考えると、この「少女」はモーツァルト自身にも思えてくる。
自分のやるべきことを見据えて気持ちを節制しながら生きろというレオポルトは「大人のように分別を持ちなさい」という父親、一方「キャンディのほうがずっと良い」と甘い恋心を捨てきれないモーツァルト。
「天国のお母さん、私はずっと抱いているこの気持ちをどうしたらよいでしょうか」という切実な問いを、この明るく美しい変奏曲を聴きながら想うと、胸が締め付けられるような感覚にもなってしまう。
最後に、このシャンソンに繰り返し出てくる一節を添えたい。
―あなたの揺るぎない優しさが、心に生きている―
淡い初恋とは違った色合いが、この作品には溢れているようだ。
✨10クラ配信1周年ありがとうございます✨
2021年12月10日配信
収録曲
♫ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:フランス民謡「ああ、お母さん聞いて」の主題による12の変奏曲(きらきら星変奏曲)K.265
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
今日は恋多き作曲家の恋の変奏曲。
『きらきら星』の歌詞は日本特有のもので、モーツァルトの時代にはまだ存在していない。
フランスで広く親しまれていたシャンソン
『ああ、お母さん聞いて』
は、屈託のない少女が恋心を母親に打ち明けている様子を描いているが、フランスならではの言葉の裏側を汲むのもまた楽しみのひとつと言えるだろう。
モーツァルトの置かれた状況を推し量ってみるのもまた然り。
―お父さんは大人のように分別を持ちなさい、というけれど、私はキャンディのほうがずっと価値があるように思うの―
この少女は母親に「初めての恋の悩み」をこのように伝えている。
モーツァルトは恋多き作曲家だった。オペラにはそれが色濃く表れている。
それに加えて私にとっての大きな興味は、この作品が書かれる2,3年前に、モーツァルトが人生の一大事をふたつ経験していることである。
ひとつはモーツァルトが結婚まで考えた歌姫アロイジア・ヴェーバーとの破局。
もうひとつは最愛の母との死別である。
幼いころから神童と名高かったモーツァルトは、アロイジアのプリマドンナとしての活動も支えていきたいと公言していた。
英才教育から演奏機会の設定まで、手塩にかけて育て上げている父親レオポルトが、恋にのぼせ上がった息子の結婚話に猛反対するのは想像に難くない。
音楽家として生きていくことに集中し、パリへ渡って修行をするようにという猛烈な反対を受け、やがてふたりは破局をむかえた。
いまでこそ結婚は当人同士の自由というが、そんなに簡単な話でもなければ、音楽家もレオポルトの言うように、公私のサポートをし合うことを容易に約束することなどできない職業である。
厳しい父親に対し、常に心の支えだった母親を同時期に失ったモーツァルトは、ひどくふさぎ込んだ。
この2点を踏まえて今日の変奏曲を考えると、この「少女」はモーツァルト自身にも思えてくる。
自分のやるべきことを見据えて気持ちを節制しながら生きろというレオポルトは「大人のように分別を持ちなさい」という父親、一方「キャンディのほうがずっと良い」と甘い恋心を捨てきれないモーツァルト。
「天国のお母さん、私はずっと抱いているこの気持ちをどうしたらよいでしょうか」という切実な問いを、この明るく美しい変奏曲を聴きながら想うと、胸が締め付けられるような感覚にもなってしまう。
最後に、このシャンソンに繰り返し出てくる一節を添えたい。
―あなたの揺るぎない優しさが、心に生きている―
淡い初恋とは違った色合いが、この作品には溢れているようだ。
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