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10クラ 第38回 音楽と存在の疑問符

10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
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第38回 音楽と存在の疑問符

2022年7月22日配信

収録曲
♫エリック・サティ:グノシエンヌ第5番

オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」

演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)


プログラムノート

存在、というものについて。
哲学者なら数多と扱うことと思うが、音楽家もまた似たように好き好んでその道を堂々巡りする生き物である。

音楽家にはシューマンのように文学や法学を学んだ者もいれば、バルトークやクセナキスのようにかなりの数学者もいる。メシアンは極めるために優れた鳥類学者を頼ってもいたが、自身もその知識を持っていたし、神学者でもあった。いずれにしても本人の自負も伴った「音楽家以外の面」である。

対して今回の主役は自負もあったかもわからないし、単刀直入に聞けたとしてもはぐらかされて終わるだろう。それでもその長きに渡る一貫とした姿勢は「ひとつの哲学」を生み出していると言っても良いのではないだろうか。

サティは「家具の音楽」という作品も書いたが、事実その思想に基づく生き方を貫いた。「在る」ということに、気が付かないほど自然に溶け込む一方で、心地よい彩りと「思想」を要求していたことは、この上ない矛盾であり、非常に人間らしく理にかなったものでもある。
存在は常に矛盾を孕んでいる。自我はそこにどのように絡むのか、どのような視点から「存在」を認識するのか、或いは何者かに作用されたうえでの自我の存在なのか。思考はどこからやってくるのか。何を見て何を解放するべきか。
これらは全てサティの楽譜から読み取れる「疑問符」であると私は考えている。

サティの「家具性」への考察は、形にしてからは早2年半、考案はもっと前になる。これは私にとって時間をかけてきた実験であり、今後もさらに深めていきたいものである。グノシエンヌの第5番、この軽やかな調性はサティ特有の受け皿の広さと、隠された鋭きエスプリを薫らせる。

この人は言った。
「家具の音楽のない家には入るな」
と。
それがサティの生き方を表す言葉のひとつであることに、濁りは無いように思う。

クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/