フランス音楽への誘い vol.12 交流の側面から
「フランス音楽」という括りで言葉を提示するとき、「フランス人」ということを念頭に置いてはいない。
近代(19世紀~)のフランス音楽は、パリで繰り広げられる舞台を中心としていた。
そこに大きな華を添えたのは、バレエ・リュス、つまりロシアのバレエ団だった。
バレエ・リュスはロシアの芸術監督であるセルゲイ・ディアギレフを中心に、数々の分野で斬新な実験、芸術革命を行った。
バレエの鬼才ニジンスキーはもちろん代表的人物であり、ニジンスキーの名で思い浮かぶものと言えばロシア人作曲家ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》や《春の祭典》、フランス人作曲家ドビュッシーの《牧神》であろう。
ストラヴィンスキーはロシア人だが、大きく飛躍した活動の場はパリであり、その響きは「近代フランス音楽」のなかに燦然と煌めく色彩感に溢れている。
ストラヴィンスキーの音楽は発泡酒のようで、同じくロシア人のカンディンスキーやシャガールの絵画を彷彿とさせる。彼らはみな、ロシア人であり、近代フランス文化を発展させた「フランス文化人」でもある。
パリでアカデミックな立場についたスペイン人作曲家アルベニス
(=私の母校でもあるスコラ・カントルム音楽院にて教鞭をとった。当時、古く閉ざされた旧体制の充満していたパリ音楽院の教育方針を変えるべく、「開かれた音楽院」として新しい教育のために設立された学校が、スコラ・カントルム音楽院)
を筆頭に、スペインの音楽家たちもまたフランスの音楽に大きな影響を与えた。
スペインの巨匠ファリャは、バレエ・リュスにとっても欠かすことのできない作曲家であった。
物語性、劇的要素、舞踊要素、妖艶な表現力、それでいて明快な旋律を書けるファリャの手腕は当時から高く評価された。ファリャの携わった舞台では、ピカソやココ・シャネルが舞台衣装や演出を手掛けている。
また、交友関係の広かったファリャは音楽家たちとも良好な関係を築き、作品にもそれが表れている。
ドビュッシーを慕っていたファリャは、追悼を込めて《ドビュッシーの墓のために》というギター作品を残している。ここには、ファリャが特に絶賛していたドビュッシーのピアノ作品《版画》(異国情緒あふれる3つの作品から成っている)の第2曲目《グラナダの夕暮れ》が引用されている。
ファリャはフランス人の作曲家フランシス・プーランクとも仲が良かった。
プーランクの美しく愛らしい小品集《3つのノヴェレッテ》の3曲目には、ファリャの作品がテーマに使われている。そのテーマが、《恋は魔術師》のメロディである。
《恋は魔術師》は、ファリャの作品のなかでも人気を誇っている。
この作品からインスピレーションを受けたプーランクのノヴェレッテも載せておきたい。第3曲目にファリャのメロディーが引用されている。
また、この演奏は私が在学していた頃もスコラ・カントルム音楽院の教員だったピアニスト、ガブリエル・タッキーノ。
プーランクの唯一の弟子であった。
こんな一部分だけを見ても、「フランス音楽」と言われる分野には様々な要素が入り混じっていることがわかる。
そしてこの”謎解き”が、堪らなく楽しいのである。
ぜひ多くの方々に、「フランス音楽」という文化全般の統合された芸術の世界へ、足を踏み入れていただきたい。