【10クラ】第26回 安らぎの灯
10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
00:00 | 00:00
第26回 安らぎの灯
2021年12月24日配信
収録曲
♫ヨハン・セバスティアン・バッハ:フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV817より「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
街が華やかな時期に、あえて素朴に安らげる空間に身を置いてみるのも至福というものだ。
4年間過ごしたパリのクリスマスは静かでひそやかなものだった。街に出てもお店は閉まっているし、必要以上に外に出ないような空気感だった。
ドイツとの長年の複雑な歴史を持つストラスブールを訪ねると、天使のイルミネーションやシックなクリスマスツリー、なにか穏やかに並ぶクリスマスマーケット、静かに流れる讃美歌から、これがクリスチャンの街のクリスマスなのかと新鮮だった。
ストラスブールを訪ねた数日後に、悲痛な乱射テロが起きた。
私がパリへ向かった時期はパリも不安定で、未遂も含めてさまざまな事件があった。うちの近くでは警察署が狙われた。
私が住んでいた地域はアラブ人と黒人が多く、それこそ多種多様の信仰をもつところだった。
近隣住民はとても優しく、警戒したわりに危ない目に遭ったことは幸運にもなかったが、もちろん地域の評判を怖がって寄り付かないような人もいた。
聖書には「初めに言葉ありき」とあるが、
言葉は心であると言った人もいる。
心に残る言葉はたくさんあるが、ふとした瞬間に思い出す本の一節がある。
「花嫁道具」なるものがまだ当然の時代だった封建的な日本において、青年が婚約者に言ったのは
「なにもいらないから、聖書の言葉を心に蓄えてほしい」
だった。
時代に反し、風潮に反し、こんなふうに言い得る人物がどれだけいるか。
こんなふうに覚悟をもって、自分の意志と愛を貫ける人物がどれだけいるか。
十数年も病に倒れ、長年の恋人を病で失くしたクリスチャンは
「布団の中で独りきりで迎えたクリスマスほど、愛と祈りに満ちたものはなかった」
と言ってのけた。
愛なるものは壮絶であり忍耐であり、希望であるのだと思わされるエピソードだ。
私はクリスマスになると必ずこのことを思い出し、自分を見つめなおすようにしている。
勢いのある現代社会のなかで、ときおり命なるものがあまりに軽んじられているのではないか、言葉というものをあまりに粗雑に使いすぎているのではないか、恐ろしく思うことがある。
たとえば自身に、死の重さや恐ろしさ、危険にさらされることがあったなら、むやみにその言葉を使わないだろう。よく音楽や文学で用いられるそれに対する「憧れ」は、正直私には綺麗事としか思えない。
自分自身にとって特別な作曲家であるシューベルトと意識的に距離を保とうと思ったのも、ここに理由がある。
その点光に向かう祈りがバッハでありベートーヴェンだ。
重たくなりすぎず、優しく温かな幸福感をくれる曲…そう考えたら、私の頭にある曲が流れた。
それが今回の「サラバンド」である。
人は何かに倚りかからなければ立っていられないほど弱い時がある。
しかしその対象を「人」にすれば、それは破綻する。人に倚りかかることは悲劇を生みかねない。
そんな世の中だからこそ宗教はあった。
無宗教の国に育った私はその対象を音楽に見出せた。
文化はそのためにある。
人が人らしく立てるために、
人が人らしく愛せるために、
文化は在り続けなくてはいけない。
2021年12月24日配信
収録曲
♫ヨハン・セバスティアン・バッハ:フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV817より「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
街が華やかな時期に、あえて素朴に安らげる空間に身を置いてみるのも至福というものだ。
4年間過ごしたパリのクリスマスは静かでひそやかなものだった。街に出てもお店は閉まっているし、必要以上に外に出ないような空気感だった。
ドイツとの長年の複雑な歴史を持つストラスブールを訪ねると、天使のイルミネーションやシックなクリスマスツリー、なにか穏やかに並ぶクリスマスマーケット、静かに流れる讃美歌から、これがクリスチャンの街のクリスマスなのかと新鮮だった。
ストラスブールを訪ねた数日後に、悲痛な乱射テロが起きた。
私がパリへ向かった時期はパリも不安定で、未遂も含めてさまざまな事件があった。うちの近くでは警察署が狙われた。
私が住んでいた地域はアラブ人と黒人が多く、それこそ多種多様の信仰をもつところだった。
近隣住民はとても優しく、警戒したわりに危ない目に遭ったことは幸運にもなかったが、もちろん地域の評判を怖がって寄り付かないような人もいた。
聖書には「初めに言葉ありき」とあるが、
言葉は心であると言った人もいる。
心に残る言葉はたくさんあるが、ふとした瞬間に思い出す本の一節がある。
「花嫁道具」なるものがまだ当然の時代だった封建的な日本において、青年が婚約者に言ったのは
「なにもいらないから、聖書の言葉を心に蓄えてほしい」
だった。
時代に反し、風潮に反し、こんなふうに言い得る人物がどれだけいるか。
こんなふうに覚悟をもって、自分の意志と愛を貫ける人物がどれだけいるか。
十数年も病に倒れ、長年の恋人を病で失くしたクリスチャンは
「布団の中で独りきりで迎えたクリスマスほど、愛と祈りに満ちたものはなかった」
と言ってのけた。
愛なるものは壮絶であり忍耐であり、希望であるのだと思わされるエピソードだ。
私はクリスマスになると必ずこのことを思い出し、自分を見つめなおすようにしている。
勢いのある現代社会のなかで、ときおり命なるものがあまりに軽んじられているのではないか、言葉というものをあまりに粗雑に使いすぎているのではないか、恐ろしく思うことがある。
たとえば自身に、死の重さや恐ろしさ、危険にさらされることがあったなら、むやみにその言葉を使わないだろう。よく音楽や文学で用いられるそれに対する「憧れ」は、正直私には綺麗事としか思えない。
自分自身にとって特別な作曲家であるシューベルトと意識的に距離を保とうと思ったのも、ここに理由がある。
その点光に向かう祈りがバッハでありベートーヴェンだ。
重たくなりすぎず、優しく温かな幸福感をくれる曲…そう考えたら、私の頭にある曲が流れた。
それが今回の「サラバンド」である。
人は何かに倚りかからなければ立っていられないほど弱い時がある。
しかしその対象を「人」にすれば、それは破綻する。人に倚りかかることは悲劇を生みかねない。
そんな世の中だからこそ宗教はあった。
無宗教の国に育った私はその対象を音楽に見出せた。
文化はそのためにある。
人が人らしく立てるために、
人が人らしく愛せるために、
文化は在り続けなくてはいけない。
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/