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フランス音楽への誘い vol.16 天使の驚き

 パブロ・ピカソの『ゲルニカ』について、「芸術が狂暴であるときは、深く人間的な文脈に立たねばならない」として称賛していたオリヴィエ・メシアンですが、彼自身は戦争や暴力を題材にはしていません。それは武満徹にも言えることですが-音楽が、政治的なものに利用されることを拒んだふたりらしい気がします。言論が不自由になれば、音楽がより力を増すことはたしかかもしれません。でもそれは、とても悲しい危険な世界です。
 普段の生活を彩ることはもちろん、現実世界を忘れるための「夢のような世界」としての役割もまた、音楽の素晴らしいところです。メシアンがひたすらに聖書の世界を描いた年代、それに行き詰ってから「鳥」と自然へ回帰したことは、ある意味とても人間らしい歩みのように思えます。
 《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》はユニークな20曲から成っていますが、どの作品もとても多くの表情をもっています。おそらく第10曲「喜びの聖霊のまなざし」や第15曲「イエスの口づけ」が演奏されることがもっとも多いように思いますが、第4曲「聖母のまなざし」や第11曲「聖母の初聖体」も本当に上品で素敵です。第12曲「全能の御言葉」や第16曲「預言者、羊飼いと東方の三博士のまなざし」もとてもスリリングで格好が良く、ピアノの太い音色-特有の打楽器的な豊かさ-が魅力的です。
 第14曲「天使たちのまなざし」も、ぜひ聴いていただきたい作品のひとつです。初演の際、演奏前にメシアンが語った「青を飲み込む鳥たち」など、意味不明で頭がどうかしていると、批評家たちの大ブーイングにさらされた曲でもあります。メシアンが完全に聖書のみを具現化しようとしていたならば、それも頷ける批判ですが、彼のファンタジーには彼を育ててきた多くの詩や戯曲があるので、この批判は的外れかと思います。空の青、光のダイヤモンド、それを飲み込むような鳥たち…フランス人ならば知る詩にも、出てくるのですから。
 リズム・カノンに馴染むまでは、弾く方も大変…!メシアンというと、難解な話を身構えてしまう方も多いかもしれませんが、実はそうでもありません。「カエルのうた」をずらしながら歌って遊んだことのある方々なら、みんな、すぐに溶け込めます。…たぶんね。
 ここでの天使はずいぶんとにぎやかに思えます。そもそも、天使に対する想像が違うのかもしれない、とも思いました。私が「天使」を初めて認識したのは、幼いころにサイゼリヤに飾られていた、フレスコ画風の絵…子どもの天使がふたり並んで頬杖をついているもの、今もあるでしょうか。そんな、ほんわか可愛らしいイメージが最初にあったものですから、メシアンが最初に「天使」と思った天使は、どんな様子のものだったのだろうと気になっています。
 天使のにぎわい、リズム・カノンを経たあとは、炎のトロンボーンを表す低音が印象的で、その後には鳥の歌が現れます。本格的な鳥類学を学ぶ前の鳥の声ですが、空の上はこんなにもいろいろな声が響いて、楽しいのかなぁと思ってしまいます。この作品は構成も実はシンプルで、天使/リズム・カノン/鳥の声を繰り返してから、メシアンお得意“アシンメトリー進行”の「天使の驚き」をコーダにもってきて、鍵盤の音域的にも音量的にもクライマックスのところで曲が終わります。驚き-神の威厳を示す大事な場面でもありますが、左右のオクターブで今までよりも遅いテンポから始まるこの部分、あまりに冷静に弾くと、謎の珍現象で終わってしまう気がします。奏者としても、表現の追求とイマジネーションを求められるような箇所です。メシアンの音楽は、多くの色、多くの空や海、多くの草木、多くの風、多くの幸せを知るということを、奏者、聴き手ともに与えてくれます。幸せは決して、生ぬるい温室を指すのではなく、数々の困難を耐え忍び光を待つ、その最中に在るということも。

 メシアンの響きの美しさは、録音で生じてしまう「詰まった衝撃音」で半減されてしまうのですが…ぶつかり合う音や、半音のずれによる特有の歪みは、生の音響と残響があってこそ、無限大に広がります。「どうしてわざわざ半音ずらして重ねるのだろう」と思う方も多いと思うのですが、美しい音色とタイミング、倍音の響きが合わさった瞬間は、グラス・ハープのようにきれいで独特です。


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musiquartierーピアニスト深貝理紗子のミュジカルティエ
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/