がん体験備忘録 ♯25肝臓がんからの鬱⑤〜支えてくれた人のこと part2
♯6で、甲状腺がんの時に支えてくれたTさん、Hさん、校長先生のことを書いた。
肝臓がんからの鬱が明けるまで、これらの方々にはまたもや支えてもらった。
TさんとHさんのこと
肝臓がんが発覚したのはコロナ禍真っ只中。お見舞いはもちろん、外で会うことも憚られるご時世だ。肝臓がんと診断されたこと、手術が無事終わったことなどをLINEで定期的に連絡していた。
診療内科に行くことを迷っていた時に背中を押してくれたTさんは、春休みに「気分転換になれば」と、ドライブに誘ってくれた。
温泉に入ったりきれいな景色を見たりしたが、全くリラックスはできず。私は楽しそうな顔一つできないのだが、何も聞かずにいつも通りに明るく振る舞ってくれて、その心遣いがありがたかった。
その翌週だか2週間後かにも、3人で近場に出かけた。この時はさらに状況は悪化しておりほとんど話せなかったが、2人といると、まだ自分を保てるような気がした。
休職に入ってすぐの日曜日は母の日。この時私は「再発したから堂々と休めてよかった」というような事を言っていたらしい。後から「そんなこと言うから、本当に大丈夫かと思った」と言われた。
その後、「健康チェックするから」と、6月、7月と1回ずつ、私の自宅の近所のお店でのランチに連れ出してくれた。会うたびに「こないだより元気そう」と言って励ましてくれた。帰り際に「ありがとう」と思わず涙ぐんだ時に「泣かないで。大丈夫。絶対治るよ」と言ってくれた。
そして今
節目節目でTさん、Hさんと会う。当時の話はほとんど出ず、バカ話がほとんどだ。でも時折「ホント、元気になったよね〜」「よかったね〜」「あの時はどうなるかと思ったよ」と言って笑い合える。そんな会話をする時「生きていてありがたい」と心から思う。
余談
Tさん、Hさんと会った母の日。別れたあとスーパーに立ち寄った。母の日用のプレゼントはすっかり売り切れ、小さな造花のカーネーションのついた小さなお菓子が一つ、ポツンと棚に残っているばかりだった。
仕事をもち給料をいただく身にしては、あまりにもチープな母の日プレゼント。散々世話になっている母にこんな事しかできない事が悲しくなった。
「こんなことしかできなくてごめんね」と言ったら、「そんな事ないよ、嬉しいよ」と言われ、完全に子供に戻った気分になった。
翌年、すっかり元気になっていた私は、大人らしく素敵なお花をプレゼントした。「去年の母の日は情けなかったよ~(#^^#)」と笑い話だ。
これからも母の日が来るたび、あの時のチープなプレゼントと、それを渡した時の悲しい気持ちを思い出すだろう。思い出す事で、改めて元気に生きている事を感謝するのだ。
願わくば、一年でも長く母の日のプレゼントを贈れますように。
(母も、支えてくれた人の一人なのです。)
次回は、支えてくれた人Part3。
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