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【感想】AIフェスティバル2024 1日目(2024/11/10)

12月30日に続き書いてます。

11月下旬くらいまで書いていたものに12月30日に追記しています。
一か月つけ置きしていたものを…?!って気持ちもあるのですが、
9000文字も書いたんだし~というもったいない精神のもと出します。
2024年の煤払いよ~~~!!


9000字越えだ!!!
これがpixivのR18小説だったらめちゃくちゃ丁度良い長さなのにな~!なあ!おい!そうだろ!
追記・修正していたら1万文字越しました。

ダイジェストとか作ろうかな!?
感想に…ダイジェスト…?!

あ~~~!楽しかった!!本当に楽しかったよ~!
私は両日一般参加しました!トークセッションの流れに沿って感想や所感を書いていこうかと思います。

ダイジェスト感想


そして神をつくる
なるほどな、と思いつつ納得できない部分も多々あり。←一般人の所感はこんなもんだろ。社会というのは一般人がつくるもの…!私の「一般人感」は社会に必要なものと思っています。だから書いちゃうよね~。感想を。
社会は効率と合理性だけで出来ていないし、効率と合理性だけで社会はできない!

表現手段としての生成AI
生成AIとポジティブな付き合いをされているクリエイターの方々。第一回、第二回のAIアートグランプリ受賞者集結。AIは人間の能力の拡張。自分の嗜好(思考)をつきつめるための道具。

ビジネスとしての生成AI
地方でAIが活用されるためには。AIの技術はできているが、それをどう活用できるのかはまだ不明。人口減少の日本における労働力のかわりとしてのAIがくることは必須。←AI使ってもすぐに結果がだせない、結果が出せても運用できる人がいない。

進化するAIテクノロジー
AI研究の第一線を走る方々の現在。今つかっているAI、AIと人はどう付き合っていくべきか、未来はどうなるかの予測。


参加の目的

最新のAI、またAIにまつわる人の感覚というものを体感する、というのが一番の目的でした。
私にとって「生成AI」と言うと「画像生成AI」が最も身近です。最近(2024年11月上旬ごろ)、Twitterの規約変更にともない、画像生成AI推進派と画像生成AI反対派の対立が強まりました。
私は画像生成AIプロンプターさんもフォローしているし、手描き絵師さんもフォローしている立場です。
つまり、画像生成AIを受容しており、他者の権利を侵害していない(と私が判断した)成果物に対して好意的です。
が、手描き絵師さんが画像生成AIの学習方法や成果物、プロンプターを忌避する心理も理解しているつもりです。
…と、考えていたのですが、
私ってば生成AIについて「わかったつもり」になっているだけで、実は何も分かっていないのかもしれない。
何も分かっていないから、単純に私好みの成果物を作る画像生成AIプロンプターさんを好意的にとらえているだけでは?と思い、改めて生成AIというものについて知ろう!と思ったのが参加のきっかけです。(本とか読めばいいじゃん…って思われるかもしれないですが私的にこの身体感覚を伴う体験って、読書以上に価値があるものなので許してクレメンス)
実は直前まで行くかどうか悩んでいました。(専門的すぎると理解できないだろうし)。しかしTwitterで野火城さんのAIアートグランプリに参加された作品を読み、「この結果を見に行かないのは『嘘』でしょ」と思って、参加した次第です。
行ってよかったよ~。ていうか私ってば生成AI=画像生成AIしかないって思っていたもんで、他のAIの事なんて頭からすっぽぬけてたんだよね~。そういう認識を改められたことも含めて、参加してよかったです!楽しかった~!自分の知見を好意的な視点で広げられることは喜びですね!

総評

今回のAIフェスティバルは大きく分けて三つのブースがありました。協賛企業のブース、AIアートフェスティバルの最終選考に残った作品の展示ブース、トークセッション。タイムテーブルの取り方などを見て、おそらく今回の目玉はトークセッションだったと思います。
トークセッションの登壇者は「AIを開発・研究する方々」「AIをツールとして使用する方々」に分かれていました。
この二つの界隈でAIに対する姿勢がかなり違います。
前者は「AIはいずれ生態をつくり、世界構成する主となる。その中に人間や自然があるような状態になる(する)」。後者は「AIはあくまでツールであり、人がどのような志向性をもつのかが大切」と言う感じ。後者の方々はヒューマンファーストというか……世界はあくまで人間主体で進んでいくという確信をもっておられるように見えました。
これもぱっきり分かれている訳ではなく、グラデーションがあり、最先端に居られる方々でさえ最適解が見えない(考えられない、棚上げしている)状態なのだと思います。特に「ビジネスとしての生成AI」で登壇されていた原田さんには葛藤があるように見えました。→AIの自分と対話して問題解決。
シンギュラリティによるレゾンデートルについて登壇者に聞いておられたのは清水亮さん。
また、人とAIが共生する方向で研究されているのが米澤朋子さんでした。(9日トークセッション「インターフェースと生成AI」で登壇されていました。)
AIが主体になる社会で多くの人が「自分(人)の価値はどこにあるのか」と悩み不安を抱えているように思えます。ここらへんの掘り下げがもっと見たかったな~!
私は、人工知能の生態が出来たとしてもそれは人間社会とは別の生態・価値観なんだろうな~と思いました。
人の能力の一部が拡張されたものであって、だから人より上とか、人の代替になるとか、そういう事にはならないんじゃないかな。
すんごい偏見だけど
人工知能を研究・開発されている方々は共感や情緒方面への興味が薄い方が多い気がするので、人工知能にそこらへんの感性は反映されなさそう
→例えばだけど、愛についても哲学では古代ギリシャ哲学ではエロス、フィリア、ストージュ、アガーペ、ルデュス、プラグマ、フィラウティアと7つ存在していてて、生きている人間はそれを「なんとなく」理解できるけどAIは出来なさそう→作っている人が興味ないから。って感じ。
もしかしたらAI自身が自走学習するようになるかもしれないけど、上にあげたものだって、普遍的なものではなくてその時の感情や環境や体調によって変わるだろうし、積み重ねられていくものだと思うんだよな。
それをAIが出来るようになるのかな。
かなり非合理的な感覚だけど、それをAIが…?って思っちゃう。何の必要があって学習を?
そして非合理的、非効率だから思考を切り捨てる…生命体?生態?思考生物?が人間より上?何をもって上?能力が上だから?
・開発研究をされている方々は身体で得る情報にはあまり興味が無さそう。
・人工知能って、なんか、蟻とか蜂みたいに群で一つの頭脳を持つ、みたいな感じになりそうな気がする。
自殺という概念が無さそう。
個に意味をもたなせそうな気がする←個に意味を持たせる事を非効率・非合理的ってAIは判断しそう。
という感じだ。
なんかここらへんは2日目の感想でもうちょっと細かく書きたい。
AIが発達した先に「他人」は必要なくなるのか。うーーーん。そうなんけ?
けど、ここらへんになるともはや哲学や宗教、文学の範囲になるだろうな~。難しそうだ。
どっかの大学の哲学科とかで研究されて論文が出そうな気もするけど……。どうなんだろうな。
文学方面で言うと、芥川賞を受賞された九段理江さんが思い出されますね。
他で言うとAIのべりすとかな…。っておもってちょっと調べてみたら文学賞を開催するんだ!

恐山さんが審査員になってる~。おわ~。


そして神社を作る 落合陽一


AIフェスティバル1日目はビジネス・開発方面のAIについて語られる場が多くありました。労働をAIで代替できる世界になった時、人間の仕事はどうなるのか?というのがどのセッションでも話題にでました。
落合さんが提言されていたのは「キュレーション」です。これは他のセッションでも「エージェント」や「選別」と言葉を変えて何度か出てきました。

他所感
所感なので文章がごちゃごちゃになります~。
読みづらくてごめんなさいね。
自然は計算ができる=計算は自然である
最初にこれを聞いた時、なんとなく違和感があり「本当け?」と思いをはせていたのですが、違和感について「こうじゃないかな~」となんとなく言語化できたので記します。
なんというか、話を聞いてて
『自然界で発生「した」ものを100%計算できる(再現できる)』
なのか
『自然界で発生「しうる」ものを100%計算できる(再現できる)』
なのか分からなかった。後者は私の中で「未来予測」なんだけど、できるのかな。私の中で前者はAIで出来るだろうけど、後者は計算できるんけ?っていう疑いがあるんだな。
(2024年12月追記:って思っていたら、後日行われた「生成AIなんでも展示会」で競馬の完全予測をしたAIが現れましたね。)

そして後者が出来るようになるんだったら、やっぱそこは地震とか火山の予知が出来るようになってほしい。地震の予測が出来たら今よりもっと不幸が無くなるし、対策ができる。林業・農業・建築・都市開発はもっと計画的に安全に行え得るようになるんじゃないかしら。←自然災害でもう一個これは予知できなきゃダメでしょ…ってやつがあった気がするんだけど思い出せない…。
が、今の所その雰囲気があるように見えず…論文もちょっと見つけられず。だとすれば「AI=自然」っていうのは…こう…まあ…まだ仮定の状態なのかな~って感じ。私的にはだけど。
ここらへんAI開発、研究に携わっていないゆえの感覚なのかも。
そして、じゃあ地震の予測が完全にできるようになる(自然のものをリアルタイムで再現できるようになる=予測ができる?)として、AIが人間の環境を作るようになる…というのも理論上では可能になったとして、本当に運用されるのかな~…って思っていて。
研究ならまだしも、経済や生態に影響を与えるほどの規模の大きさで作れない気がする。資源と金をどこから手に入れるんだろう?っ思って。
理論上可能と、それを人の営みに馴染むほどの規模でやるのは違うよね。そこらへんを含めると、こう……人の生活に影響を及ぼすまで、実装されるまで?はまだ時間がかかりそうな気がする。

それは今回のイベントも含めて強く思いました。
1時間のトークセッションが日に4回行われ、秋葉原のあの一等地を2日貸し切り、2000円のチケットで2日通しで入れる……っていうのは、正直かなり安い。
このゲストを集め、このタイムテーブルで、この値段でやる…っていうと、なんか……私の感覚だと、全然赤字なイメージ。
けど、赤字にしてもやる意味って何?ってなると、それは「周知」なのではないかな~って思って。
赤字になったとしてもその意義がある!という心意気だけで運営されている気がする。
ていうことは…2024年今の段階で、AIってのは全然浸透していない(浸透させたい)ってことなんじゃないかな~。
AIが一般化するのはまだまだ全然先なんじゃない?

そして、AI=恐れ 恐れ=宗教 という風に話が展開していきましたが、これに対しても「本当け?」という思いがありました。
というか、AIをわざわざ神にして崇める必要ない気がする。
日本の神のどれかに当てはめれば(解釈すれば)いいじゃん!っていう。
例えば新勝寺なんて平将門が祭られている神社だけど、交通安全も出産も家内安全も全然関係ないのにお守り普通にあるし~。
人間の感性ってそんなに潔癖じゃないし、柔軟な気がするな。
すでに何万とある神に新しい神をわざわざ作る必要が無くない?!っていう。
あと、私は宗教は「恐れ」から出来たわけではないと思う。
「安心」のために出来たと思うんだな。
他には「自分たちは共同体である」という意識をもつための装置としてとか。
AIは共同体という意識の真逆にあるんじゃないかしらん。
なんで、ここらへんも、なんだかいまいち納得できず。
あと~計算が可能なのであるならば……為替市場にも何かしらの影響があって欲しい~。あるはず~。あるよな!?
実際どうなんだろう。

……あ!あった……!AI予測が!
実際どうなんだろう。AIによって投資って結構変化したのかな。
なんかパッと見た感じ、「おもしろ枠」「お試し枠」って感じがする。
AI登場してから荒れたりしてんのかな~。
もしかしてそういった計算が禁止されている…とかなのかしら。あるいはコストに見合ってないから誰もやらないだけ?!?!

死生観が変わる…という意見も疑問です。
というか、私的には多くの人が「生」の定義づけができていないんだと、思いました。
私にとって生というのは
1、代謝を行う体があること
2、代謝して、臓器を動かすエネルギーが発生すること
3、その二つが揃い、経験をもって、選択をすること
この三つをもって「生」だと思っています。(法律や倫理上の定義はおいておいて)。それは他者に対しても同様です。
故人の意思・魂は、その個体にしか持たないものであり、残されたものが何をどうあがいたってそれは「こうであってほしい故人」でしかありません。
例えば、祖父が残した日記・文章・音声・ありとあらゆる記録をもとにAI祖父を作ったとしてもそれは祖父ではありません。
なぜならば、私にとって良き祖父であった男性は、もしかしたら昔誰かをいじめたり差別したり暴力をふったり心無い言葉をかけたりしたかもしれないからです。
その経験を含め、私は祖父が「一人の人間」であると思います。
しかしAI祖父にはそれがない。
負の体験を認識しているのは、亡くなった祖父以外ない。
記録で残されていないものは、AI祖父には反映されません。
私は人の良い部分悪い部分を含め、その人がその人たらしめる根拠であると思います。その経験がないものを祖父と同一とは思いません。
人間の経験というものは、その時代の雰囲気、その瞬間の雰囲気、その時の天気、その時の気分、その時の体調、その時の人間関係、肌で感じたもの粘膜でうけとったもの、排泄物、その一つ一つに結びつき、その一つでも違うのであれば、たとえクローンであったとしても私は「別の人間」と認識します。
AIでここまで再現できるのか?というのが正直わからないので、死生観が変わるという予感は私にはないかな~。
人間、というか、生き物というものは、生きるっていうのは、そういう事だと思うんだな。
それさえもAIで再現できるのかな。
なんか、そんな気がしないなぁ。
ただの直感ですが。
悪い所、自分に不都合な部分を残しておく人っているのかな。
ちなみに人間は忘れる生き物ですがAIにも忘れるって機能があるのかしら。
それとも10の25乗のAIともなれば性格の悪さとか癖とかも再現できるってこと?
AIの「負」の側面を与えようとしているのが、2日目に登壇された米澤さんでした。

今の所私にあるのは死生観の変化ではなく、故人を偲ぶ方法が増えるんだろうな、という意識です。この感覚に近いのが
AI美空ひばりかな~。

美空ひばり世代ではないにもかかわらず、私はこの動画を見て馬鹿泣きしてしまいました。
発表当時、批難が多くあったAI美空ひばりでしたが実際目の前に現れた時、多くの人が(少なくとも動画に映っている人たちは)感動し涙を流しました。
その感動はいったいどこから来たのか。
私が思うのは郷愁です。

こちらの動画でリリー・フランキーさんが「AI美空ひばりがやっている事は多分何千年も前から人の心の中やってきている」とおっしゃっています。
私も同じ気持ちです。
私は目の前にいるAI美空ひばりに泣いているのではなく、自分たちの思い出が、その時の感情が、解像度高く目の前に表れた事に泣いているのだと思います。
私は美空ひばりさんがご存命だった頃を知らないのですが、その時の雰囲気が残る頃に幼少期をすごしていたので、美空ひばりさん=自分の幼少期を重ねていました。
この感動は恐怖であり、新しい感情の芽生えでもある事を私は認めなければなりません。
人の魂が宿らない無機物であっても、私の心は震えさせられた、ということは、今までにない体験でした。
この体験がもしかしたら「死生観が変わる」ということなのかもしれませんが……う~ん…死生観を変える…。そこまでの情緒の動き、今の私にはないかなもな。

話しが戻りますが、AIを神として祭る行為についてYahoo!で個人的におもしろい記事があったのではっつけておきます。自分用メモ。


表現手段としての生成AI

ゲストに快亭木魚さん、KATHMI(かすみ)さん、松尾広也さん(奥様をモデルにした生成AIの作成過程が載っていたweb記事があったと記憶していたのですが見当たらず…。インタビュー記事をリンクさせておきます。)。司会は小澤建祐さんです。
今回、私が一番注目していたトークセッションです。
ゲストの方々が使用されている主な生成AIはStable Diffusion。松尾さんは更に音声生成AIや映像生成AIなどを組み合わせていらっしゃいます。
当たり前ですが、お三方とも生成AIに対してはポジティブな感情を持っていらっしゃいます。AIによって出来るようになったこと、変化を私は以下のように受け止めました。
・身体や環境によって抑制されている人のポテンシャルを拡張できる。
(創作に対するハードルを下げる事ができる)
・脳のリソースの拡張。
・自身の思想や嗜好性の追求、または拡張。
・死生観の変化。
おそらくこの1項目目がクリエイティブ系において生成AIが忌避される原因なのだろうな…と思いました。
多くの人は「芸術をする=身体性をともなう継続した努力」が不可避、そうであるべき、という意識があるのだと思います。
そして大抵の人間はその努力をすることが出来ない=芸術の能力がある事が尊ばれる(権威をもつ)、尊敬するべき、と思うのではないかと。
個人的に、上記事柄に「神聖性」が加わると思います。
神聖性って何…?って思うのですが、そうとしか言えません。人知を超越しているというか…。そういったものが「手書きの絵」にはある、と感じている人が多いように思います。
私は10年以上手描きの絵でお金をもらっていましたが、神聖性を感じた事がないです。努力によって得られる権威?尊さ?みたいなのも、あるっちゃあるんだろけど、無いっちゃない…という体感です。
なので言語化ができず。
アートグランプリに出された野火城さんのAI漫画も学習モデルは野火さんの絵のみであるにも関わらず拒否感を示す方がおられます。
となると、描くという行為には身体性が伴って欲しい(ともなうべき)という感覚なのかな~。と。
そんな感じなのかな。
私は絵描き界隈における選民思想にかなり辟易しているので画像生成AIを福音と感じています。画像生成AIは全ての人間の立場をフラットにしてくれる道具です。
選民というのは、実家が裕福だとか、親も芸術系だとか、才能があるだとか、そんな二次的なことではありません。
絵は衣食住が約束されており、何ごともなく日常を送れる人間にのみ与えられる「幸福」ということを絵描き界隈はわかっていない。
毎日毎日、五体満足で日常をすごせたもののみに与えられた余剰的文化なのです。
生まれながらにして障害がある人、後天的に障害をかかえてしまった人、家庭的な問題で「絵を描く」という発想自体が生まれなかった人。
生活に逼迫している人たちが、
生きる事で精いっぱいだった人たちが、「絵を描く」という選択をすることはとてもハードルが高い。
私はその垣根を無くすべきだと思っています。
全ての人間は絵を作るチャンスを持って良い。創作のチャンスがあるべきです。
金銭、地域、加齢、家庭、環境、そこから解放されてほしい。
なので私は画像生成AIに関して、これからも好意的な姿勢をとっていくと思います。
滅ぼすべきなのは画像生成AIプロンプターではなく、悪用しようとする人間の首ねっこを捕まえる法と教育です。ここを一緒くたにしている人が多すぎる。

ビジネスとしての生成AI

ゲストに片岡翔太郎さん、原田典子さん、パンフにはcomingsoonと記載されていたのは尾原和啓さん。司会は再び小澤建祐さんです。

海外では自分の頭脳を電脳に置き換える方法が模索されはじめている…と言う風を聞いて、私、これさ~~~めちゃくちゃ怖いって思っちゃうんだけど。
だってさ~~、電脳ってことは、その電気?自分の電脳を動かすためのエネルギーの補給を自分以外の誰かが出来るってことでしょ。頼らなきゃいけないってことでしょ。
そんなの……怖いだろ。
私は……いやだーーーー!!!!!!!!
そこまで信頼できる他人が身近にいるってことなのかな~。

ここで語られた不死っていうのも私はピンと来なかったな~。
不死ってどのような状態を不死って言ってるんだろう?って思って。
・自分と同じような考えを持つ思考体がある。
・絶命したあとも他に影響を与えられる。
このような状態を不死、としているのか、
私が一番最初に定義した「生」の状態をAIで完全再現できるようになるのか…、なんかここらへん想像できなかったな~。
そんでもって、じゃあ、自分と同じ考え発想判断ができるAIが出来たとして、そのAIと自分の価値を比べて「自分」の方が劣っているって判断された時死にますか!?って話しになっちゃう気がするんだよな~。
これが私は本当に嫌。
生、そこに存在することっていうのは、そこに何か合理性だとか貢献性だとか誰かに役にたつだとか、そんなことは関係なくてもっと単純で良いはず。
そこに居る=生きるっていう、ただそれだけでいいじゃん。
生きているから、生き続ける、だから死んだらお終い。
生きて何か付加価値がついたら儲けもんだけど、
付加価値=生きることっていうのはちょっとしんどい気がする。
だから、今、みんな、ちょっと辛いんじゃないかしら。
人って、人権ってそういうものだと思うんだけど。
なんとなく…こう…AI方面の「生」の定義が、全員同じ方向を見ているのかどうか、認識のすりあわせが出来ていないような気がして、ピンとこなかったな~。私が考えすぎなのかもしんない。

知能を電脳化させると聞いてはっと思い出したのは2022年に亡くなられた
ピーター・スコット・モーガンさん。


ピーターさんはAIと人間が共生できると考えておられたようです。
そうかあ……読んでみるかな~!
しかしもはや哲学ですね。


ここから下が12月30日に書いたものです。11月10日のメモを元に書いているので箇条書きです…すんません…。

進化するAIテクノロジー

からあげさん、中村政義さん(ANLIFE開発者)、林憲一さん、布留川英一さんがゲスト。司会が清水亮さんでした。
AI界隈のそうそうたる面子……とのことなのですが、AI方面に明るくなく…リンク間違っていたら申し訳ありません…。
・最近注目しているテクノロジーについて
ひゃ~~~待ってました!という気持ち。これこれこれ!こういうのが聞けるのがいいよね~。
からあげさん・中村さん
ノートブックLMN

・PDFを読み込ませると要約してくれる
・音声を読み込ませると文字起こししてくれる。
中村さん
ポストグレスAI
SQLを出すモデル

林さん
エージェンティックAI

布留川さん
オアシス
マインクラフトの世界が…たぶん、そもそも平地?とか山?だけあって、そこに人がインフラを作っていくものなんだと思うんだけど、オアシスだとリアルタイムでインフラ(世界)が広がっていく…らしい。
振り向いた瞬間に何もない世界に建物とか動物とかが居る状態になるとか…。

上記から派生したトークセッションでは
AIが進歩したら詐欺は無くなるのか?という議題で少し盛り上がりました。
ちなみに詐欺師はやる気があるので一般人よりAIを使いこなすかも…という結論に。

・いつかこんなことできたらいいな
ちらは自分の代わりに仕事をして欲しい、仕事のパートナーになってもらいたい、というご意見が多数。研究者の方ならではの考え方だな~と痛感。ここらへん一般人と大きく乖離が起きているように思う。
特に時間給や接客業などの人にとっては「自分の代わりがいる」=「無給になる」ということだから。
多くの人にとっての労働って、頭脳労働ではなく感情労働だと思うんだよね。そして社会のつながりをつくっているのもまた労働なのです。
ここら辺の事を想像する力や共感力に乏しいからAI研究者の方々の炎上て起こるんじゃないかしら。
技術的には面白いけど、心情として…という感じ。
感性が違うから仕方ないとはいえ、社会というものは合理性や効率だけで動いているわけじゃないのになあ、という気持ちがある。
人生で合理性や仕組みを重要視している人が居る、と受け止められれば「ちょっと嫌かも」というくらいになるけど、知らない人からしたらそりゃバッシングの対象になるわいな…。って思っちゃうかな私は。
2025年の予想
・自分たちが作ったAIがまたAIを作る。
・チャットGPTで何かが起きるのでは?
→12月に何かあった気がする~。なんだっけ?月額3万のやつが出たのは覚えている。ChatGPTProだ~~!!!

・2025年にAIが作った映画に感動する日がくるかも
→今回のAIアートグランプリで大賞を受賞した「象牙のナイフ」が映像作品でしたね。
・自分の代わりに仕事ができるアンドロイドできるかも。
進化するAIに対して人はどうあるべきか(人の役割って何になるの?)
・自分が好きな事をやっていくのが良い。AIが発達しても囲碁も将棋もなくなっていない。
・人間は人間同士のコミュニケーションの方が好き。人間同士のコミュニケーションが重要になるのでは。
→現在、mixi2が勢力を伸ばしているのを見ていても芯を食っている意見のように思った。特に同好によるゆるくクローズドなコミュニティに移動するようになるだろうな。
・技術は一足飛びで進化するわけではない。AIの動きに注目していれば波に乗れるのでは。
・今の状態は(自分にとっては)ディアゴスティーニに似ている。こうなったらいいな、が毎週のように発表されていて楽しい。(AIは趣味)

後半かけあしでまとめましたが、1日目の感想はここで終わり。
あざっした!!!

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