「私の兄弟」 He Was My Brother—S&G「水曜日の朝午前三時」第7曲
いつものようにサイモンのコードストロークによるギターの前奏、息のぴたりと合った二人のハーモニーで歌は始まります。
(以下歌詞の一部引用。©Paul Simon 1964/迷訳:本稿執筆musiker)
He was my brother, Five years old than I
彼は私の兄弟だった、5歳年上の
He was my brother, Twenty Three Years Old the day he died
彼は私の兄弟だった、23歳の日、彼は死んだ
死ぬ、というショッキングで直接的な表現。まだ英語をよく理解していなかった頃のため、断片的に音声として聞こえる単語、たとえばdiedなど意味のわかる単語を追いその意味を想像して、妙にもの思いにふけていたことを思い出します(兄弟とは、本来の意味、つまり肉親としての兄弟と勝手に解釈していたせいもありますが、、、。この歌におけるbrotherとは、親しい友人、あいつ、奴、などという意味でしょう)。
この歌は、当時ミシシッピー州ジャクソンで黒人選挙権登録運動に参加中の若い公民権運動家が殺された事件に触発されてサイモンが書いたものです。殺されたひとりが、サイモンの大学時代の演劇クラスの友人であり、彼は悲しみのどん底にいました。それがこの歌を生んだのです。
歌は4番まであり、Freedom Riderと称された「私の兄弟」が、ミシシッピーでよそもの(Outsider)扱いされ、なじられたあげく殺される場面が淡々と歌われます。
They shot my brother dead
奴らは兄弟を撃ち殺した
と吐き捨てるような強い口調で歌われる部分が印象的です。
「私の兄弟」は、S&Gのファーストアルバム「水曜日の朝、午前三時」の他に「ポール・サイモン・ソングブック」にも収録されています。作者名がPaul Kaneとなっているため、オリジナルソングではないと長い間思っていました。ケインとは、ポールが英国時代につけた、ソングライター名だそうですから、これは正真正銘ポール・サイモンの歌。彼はこの歌を境に、それまで作ってきた、思春期の心情風な歌から卒業し、別の作風へと変わっていったとされています。当時復活していたまさにフォーク調、サイモン初期の隠れた名曲のひとつでもあります。
この「私の兄弟」に触発され、同様のメッセージをこめた歌が当時他のアーチストたちによっても書かれたそうです。
He died so his brothers could be free
残された兄弟たちの自由のため、彼は死んだ
このポールの結びのように、兄弟たち(黒人)はその後、はたして自由になったのでしょうか、、、、?
アートがリード担当ですが、ポールの秀逸なセカンドパートが見事に融合し醸し出されるハーモニーが素晴らしい。ぜひ一度お聴きください。