チャイコフスキー作曲 「交響曲第5番」 第2楽章、ホルンのソロに泣く、、、、、
チャイコフスキーの交響曲は大変人気が高く、その中でも高い支持を得ている「交響曲第5番」は全編、チャイコフスキーワールド溢れる音楽です。まさに広大なロシア大陸そのもの、大きなスケールを感じさせます。
金管楽器の荘厳な響き、弦楽器の繊細さ、木管楽器の快活さ、そしてたくましい打楽器。実にたっぷりとした交響曲です。
ところで、書物で仕入れた情報によると、チャイコフスキーという人はとても繊細な神経の持ち主だったようです。3番までの交響曲にどうも自信がもてなく、その後の交響曲も、発表後、評論家たちに酷評でもされようなら、落ちこみ気にするし、自殺を試みたこともあったらしいです。
そんな神経の細やかさとは裏腹に、音楽は実に堂々としているではありませんか? 確かに音楽は時には暗いし、繊細な面はあるけれど、力強い印象が強いんですけれどね。例えば、「交響第4番」冒頭のあの金管楽器のりりしい響き。「第6番」における第一楽章のロマンチックなメロディと怒濤のような管弦楽の響きとのコントラスト。すごい!なのに、、、。
この「5番」も発表直後は、自信がなかったらしいですから、全く信じられませんよね。
この交響曲は、メインテーマのメロディが一定しているとてもわかりやすい交響曲です。第一楽章冒頭から現れるクラリネット低音の暗い短調によるメロディは、第4楽章のフィナーレで堂々とした長調のメロディに変化します。チャイコフスキーが残したメモによると、「導入部は、運命、ないし同じ事であるが、計り知れない神の摂理を前にしての、完全な諦め」(根岸一美氏筆、ゲルギエフ指揮ウィーンフィル録音「交響曲第5番」CD解説より)とあるそうです。
諦めか、、、。
確かにクラリネットのあの暗いメロディと、それに伴う弦楽器とのアンサンブルは、聞き手を完璧なほどに憂鬱にさせてくれます。
第一楽章ではやがてオーケストラ全体による高らかな雄叫びのような展開に突入します。これは「心の叫び」でしょうか?まあ、わかりやすいといえばわかりやすい。他の楽章でこれと聞き覚えのあるメロディが登場しますから耳をそばだてて聞いてください。
そして、今日書きたかったのは、第2楽章で出てくるホルンの主旋律。泣きたくなるくらい美しい調べ。この美しいメロディは、やがて弦楽器などにバトンタッチします。しかし、ホルンの音色のあまりの美しさに聞き惚れれば、極端にいうと他のパートは必要ない!と思ってしまうのは間違いでしょうか?(昨日この部分を聞いたとき偶然見た夜空の星。ロシアの大地とは遠い信州で見るその空が、あのホルン奏でるメロディに見事に合うと感じたのは不思議です)
このメロディを聞くために、私はここ一週間、ゲルギエフ指揮、ウィーンフィルによるチャイコフスキー「交響曲第5番」(ザルツブルク祝祭劇場におけるライブ版)を毎日少なくとも3回は聞いています(通勤時の往復と、夜自宅で合計3回)。
なぜ、この録音かというと、他をいくつか試してみたけれど、この録音でなければだめな体(耳?)になってしまったのです。いやあ、その臨場感はスゴイですよ。これまで聞いた演奏とは別物。これ、レコードの批評などの受け売りでなく、正直な感想です。
ライブ版ですから、演奏中観客の咳払いなども見事に聞けるほど質が高い録音ですので、耳障りな面もある。でも、この興奮度は語り尽くせません。私の聞いた少なくともいくつかのCDやレコードは音が軽い。それに比べ、このCDは、メリハリが素晴らしく、ある時は重く、ある時は快活なんです。
(CDの情報:PHCP-111409)
その演奏の中で第二楽章のホルンに毎回、身が震える思いをしている。この身震いのために、毎日3回も聞く。はたから見れば馬鹿な話ですよね。
第二楽章に涙するのは当然ながら、思いを痛烈にぶちまけるかのごとく、迫力と優しさのメリハリが抜群の金管楽器。本当にワクワクします。第一楽章、第四楽章で出てくる、金管楽器や打楽器の躍動感にも、毎回勇気づけられています。
第4楽章が終わった後怒濤のように湧き出る「ブラボー」の声。ライブの臨場感ですね。スゴイ演奏だ。
かつてモスクワ経由の航空機の中から垣間見た、ロシアの大平原。それはこの音楽のごとく、広大な、人間を全くよせつけないような迫力がありました。あのとりつく島もないような広大な平原は、チャイコフスキーの音楽そのものなのかもしれないと、この頃思います。
だから、チャイコフスキーさん(急に「さん」づけになる!?)。
あなたのシンフォニーは、あなたが思っている以上に、はるかに強烈に私たちの心に響き渡っていますよ。自信を持ってくださいね。