「簡単で散漫な演説」A Simply Desultory Philippic/サイモンとガーファンクル「パセリ、セージ、ローズマリーアンドタイム」第9曲
正直に書きますが、メールマガジン「all simon and garfunkel」を始めた頃、書くのに苦労しそうな作品がいくつかありました。それらの歌はみな、S&Gの作品曲中異端的存在で、定番の美しいハーモニー、奥深い詩などの評価をしずらいものだからです。
独断と偏見で結論づけさせていただけば…
これらの作品は、S&Gマニアでもなければ積極的に聞きたくない部類、トラックをすっ飛ばしてしまう曲かもしれません。レコードメーカーも十分承知しているようで、ベストアルバムだけでなく、かなり広範囲の曲が収録されている三枚組「旧友」にも収録されていません。
しかし、全曲を取りあげると宣言したからには、避けて通れません。覚悟を決めなければ(^_^)。
ひとつがこの「簡単で散漫な演説」です。
どうですか、熱烈なS&Gファンの皆さんの中に、「この曲こそ、彼らの代表作として評価されるべきだ、一般的な評価の低さは我慢ならない!」ときっぱり言える方はいらっしゃいますか?
私も、この作品については、後ずさりしてしまうファンの一人です。ポールのしゃれっ気を垣間見ることのできる作品、という位のとらえ方程度で、何度もリピートして聞くつもりになれません。
しかし、今日、この作品を取りあげるにあたり、「パセリ・セージ~」収録版と「ポールサイモン・ソングブック」版を何度も聞き返しました。なにしろ演説ですから、歌詞を分析するまでもありませんし、メロディもあるようでない、ないようである。どう書こうか?
でも、改めて聞いてみると、結構おもしろい作品であることを発見しました。
前奏はスリリングなベースソロ。その後ギターのジャンジャカ、キーボードの音が鳴り響きます。そして始まるポールの歌声。というか語り歌。
まず、ポール・サイモンがよく読み、思想的にも共鳴していた作家や思想家が誰なのかがわかるのです。もっとも米国の作家や思想家にうといわたしにはノーマン・メイラー、マクスウェル・テイラー、オハラ、ロバート・マクナマラなど単なる固有名詞の羅列でしかないのですが。
また音楽シーンの英雄たちも出てきて、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、にかぶれていた自分は盲目だった、などとうそぶくのがおもしろい。
特に、歌の真ん中で、
ボブ・ディランのことを揶揄している?と勘ぐれる部分ですね。歌の最後、異音がするのですが、ハーモニカを落としたような音の後、ポールは「ハーモニカを落としちゃったよ、アルバート」と困ったような口調で語ります。アルバートとは、ボブ・ディランの当時のマネージャーの名前だそうです。
なぜ、彼はこれほどまでディランを意識せざるを得なかったのでしょう?
S&Gの成功以後音楽的に高い評価を受けているポール・サイモンですが、1965年当時は少なからずコンプレックスがあったようです。なにしろ英国で「なぜ米国を出たんだい?」という問いに対し「ディランがいたからさ。」と答えたのは有名な話です。コンプレックスというと聞こえが悪いですが、どこでもフォークといえばディランと比較されることに対する苛立ち、つまりディランに対する強いライバル意識を持っていたことだけは事実だと思います。
この歌は、「ポール・サイモン・ソングブック」にも収録されていて、おもしろいことに、なんとなくボブ・ディランの歌い方そっくりの「語り歌調」(こんな言葉はない?(^_^)……私の造語)に仕上がっています。ボブ・ディランのデビューアルバムを買い(「ペギー・オー」を歌っていると聞いていたので)聞いた彼の歌い方の印象が強烈に頭に焼き付いているから、こう感ずるのかもしれませんが。
ポール・サイモンがディラン調を真似たのか、または真似て皮肉ったのかはわかりません。「パセリ~」版は全く違うものになっていますので、サイモン自身曲風を変えたのでしょう。ソングブック版では、詩に英国での孤独感もかいま見られ、最後に(Haiku)俳句という単語が出てくることも驚きです。(当時のポール・サイモンの恋人キャシー(=ケイシー)が日本の俳句を絶賛していたらいいです)
-edという単語で、「何々派」を表現することができると初めて知りましたが、色々な名前が、この-edで、「~かぶれ」と表現されているのが面白いです。歌の最後には、ロイ・ハリー(レコーディング・エンジニアでポール・サイモンの30年来のパートナー)やアート・ガーファンクルの名前も出ます。
二つのアルバムに収録されているこの歌を聞き比べると、やはり、ポールのディランに対するライバル意識(嫉妬ともいえるかも)が強く印象づけられます。ディランの歌と、ポールの歌は全く別のものだと、現代なら冷静に評価されるはずですが、当時は比べられていることへの苛立ちを、この歌に託したといえそうです。
たまにはこの歌で、ポールの変わった一面を垣間みるのも悪くないのでは?