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マーラー 交響曲第9番(2) ~人生のあほらしさと楽しさを語る
【第2楽章】
ファゴットで始まり、クラリネットとホルンがノーテンキな序奏を奏でたと思えば弦楽器が、ちょっとノロノロぎみなワルツを奏でる。ウィンナーワルツとはほど遠く実にのどかだ。上品に貴婦人を気取りたいけど、正体バレバレの田舎もの、というと言い過ぎもしれない。けど、このギャップが面白くてたまらない。ホルンの雄叫びも笑えるし、終始脇役として同じフレーズを続けるファゴットも可笑しい。
滑稽な音楽は続き、今度は弦楽器まで巻き込むんだから、お話にならない。コントラバスが真面目に道化役に徹している。ホルンも常に喜劇役者だ。もちろん彼らだけに役者を任せておけない、クラリネットも、オーボエも追従。
突然全く変わった音楽が始まる。この騒がしげでうるさい音楽はなんだろう!メロディは美しい。それは認める。しかし、なにも管楽器まで加わってこんなに騒がなくともよかろう、とさえ思う。実は聞きながら、楽しくって、ずっとワクワクしているんだけどね。ティンパニーも、トロンボーンもうるさすぎる。
中間部は休息か?ホルンや木管楽器のアンサンブル。オーケストラの曲とはとても思えないくらいのどか。フルートの活躍も素晴らしい。
この楽章を聞き、精神が高められるとか、癒されるなどということを期待してはいけない。これは人生がいかにアホらしく楽しいかを音楽で表現しているのだ。分裂症ぎみなフレーズもあるけど、根底には底抜けに優しく美しく、そしてユーモラスな心情がある。そこを見間違ってはイケナイ。
涙を流しながら笑う、ことができるのも、人間なのだから。
【第3楽章】
金管楽器の雄叫びに続き、余談を許さない雰囲気の音楽だ。前章の、のどかさとはうって変わり、神経質で忙しい奴の音楽が始まる。第2楽章で少し安らいだかと思えば、これだ。全くマーラーは聴衆を安心させてくれない。分裂症気味のメロディが、神経を逆なでする。
途中、少し安堵を感じられるフレーズも出てくるけど、常に緊張している。美しい弦楽器の音色や、木管楽器の音にもちょっとホットする。束の間の安息。金管楽器がどんどん、侵攻し、安堵感はぶちこわされるんだ。
第2楽章で、ユーモラスに人生の楽しさを語ったマーラーは、現実を第3楽章で容赦なく提示するのだ。聞いたことのあるフレーズがよく出てくる。別の交響曲で聞き覚えのあるメロディも聞こえるぞ。
と半ばあきらめかけていると、妙に敬虔なメロディが途中聞こえる。これは第4楽章にも通ずる音楽なのだが、ここでは輪郭だけであり、周囲が相変わらず騒がしいんだ、最初は。やがてあきらめたように、回りの喧騒は消えるけど、まだまだ余談は許されない。この世で生を全うするのは、苦難の連続、ということだろう。
敬虔な音楽は、再び喧騒に変わる。管弦楽全体で、これでもか、これでもか、というくらい騒ぎ立てるからたまらない。騒ぎはいっこうにおさまらず、怒濤のまま第3楽章が終わる。
生きるって、哀しいんだろうか?第4楽章はそれを語る…。
(続く)
【私の聞いたCD】
グスタフ・マーラー
交響曲第9番 ニ長調 第1楽章~4楽章
シカゴ交響楽団
指揮:ピエール・ブーレーズ
※緻密で楽器の動きがよくわかる名演。
グスタフ・マーラー
交響曲第9番 ニ長調 第1楽章~4楽章
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
※帝王と呼ばれどちらかといえば私自身は昔毛嫌いしていたカラヤンの存在感を再認識させられた至高のライヴ録音。素晴らしい演奏。