ブラック雇用か? 夜も昼もへとへとになりながら(ドン・ジョヴァンニより) ベートーヴェン「ディアベッリ変奏曲」 第22変奏
夜も昼もへとへとになりながら(ドン・ジョヴァンニより)〜「ディアベッリ変奏曲」におけるベートーヴェンの心憎い悪戯
ベートーヴェンのピアノ曲に「ディアベッリ変奏曲」という名称の作品があります。Op.133ですから、32のピアノソナタを書いた後の作品です。
ベートーヴェン自身、ソナタを32曲で終わるとは思っていなかったでしょうから、次のソナタ33番までの間…長い休憩中の気まぐれな一品だったといえるかもしれません。
これは、ディアベッリという出版商(もともと音楽家でもある)が考えた音楽テーマをベースに、50人の作曲家に変奏曲を書かせ大奏曲集を出版する意図の企画でした。現代でも通用しそうな大胆で素晴らしい企画でして、実際彼は実現させます。
しかしながら、冷静に考えると、あほらしい企画でもあります。ベートーヴェンも50人の一人として声をかけられたのですが、彼はこの申し出を断ります。
彼の性格からして、「なぜ私が50人の一人なのか?」と疑問に思うのは当然。あるいは「ばかばかしい」と思ったからか、単に他の仕事で忙しかったせいかもしれません。 法外な金を積めば引き受けたかもしれませんが(笑)。
ところが、何の気まぐれでしょう、ベートーヴェンは一人でこの変奏曲を書き始めます。そして思った以上に気合いを入れてしまい、テーマ+33の変奏曲による演奏時間合計40分以上の大作に仕上げるのです。
変奏の名人ベートーヴェンの才能が余すところなく発揮され、ディアベッリの単純なテーマが二十面相じゃなく三十三面相、喜怒哀楽に満ち、 色々な表情を見せる素晴らしいピアノ曲に仕上がっています。ユーモアもあふれています。
変奏曲ですから、当然テーマが見え隠れするはずなのですが、突然変わったメロディが飛び込んできます。それは、第22変奏です。楽譜にも但し書きがあります。
この曲、原曲を知らないと「お?少し違う趣向のメロディが入っているな」と感じるだけなのですが、実はモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の「夜も昼もへとへとになりながら "Notte e giorno faticar"」のメロディを使っているのです。
オペラの序曲が終わり、幕が上がり、最初に歌われるアリアです。
貴族である主人のドン・ジョヴァンニに仕える召使いが、朝から晩までこき使われることを嘆き「俺も貴族になりたいぞ」と歌うのです。
バリトンの音程の動き具合が、なんともユーモラスでして、あの序曲の冒頭悲劇的な雰囲気とは正反対。もっとも序曲もおぞましい雰囲気はすぐに終わり、楽しげな音楽に転じます。モーツァルトはこの作品を「喜劇」と銘打っているんですね。ストーリーは極めて悲劇なのに。
でも、モーツァルトにとって悲劇じゃないんです。ここ、重要です。
ベートーヴェンはディアベッリ社をはじめとする出版商たちから作品の完成を催促されることが多く、出版商たちにこき使われている哀れな音楽家=貴族の召使いと同化させて、この歌を変奏に使ったといわれています。
ベートーヴェンは、それまでの多くの音楽家たちのように雇われの身にはならず、フリーの立場で音楽活動をした最初の作曲家でした。
しかし、定収入がないと生活はままなりませんから、彼に作曲し続けてほしいと考える数名の貴族が年金という形で援助をしていました。年金以外の収入源としては作品の出版で得るお金でした。
出版商たちも商売ですから売れっ子のベートーヴェンに一曲でも多く書かせようともくろみ、彼は仕事に追われることになったのでしょう。現代の売れっ子作家や漫画家が編集者の監視下で仕事をしているようなものです。だから、朝から晩までこき使われ、とぼやきたくなる。それを音楽でやったわけです。まさに、ベートーヴェンらしい悪戯、と私は思います。
歌のメロディと、ディアベッリのテーマをうまくミックスし、一風変わった変奏になっています。とても楽しい曲ですので、33のバラエティに富んだ曲と共に一度おためし下さい。