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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 6


第一楽章 シューマンの物語

5 、ヴィーク家の日々

「ヘル・シューマンだわ」
 シューマンの声を聞くと、クララはぱっと目を輝かせました。ヘルというのは英語で言えばミスターのこと。クララは年上のシューマンの事をそう呼んでいました。

「以前何度かレッスンに来ていたロベルト・シューマンがまた来ることになった。彼もようやくピアニストになる決心を固めたようだ。
しばらくはここで私たちと一緒に暮らすことになるからそのつもりでいるように」
 お父さんのヴィーク先生からそう聞かされたのは、つい最近の事です。
優秀なピアノの先生として名高いヴィーク先生のもとには、沢山の生徒がレッスンを受けに来ていましたが、その中でも優しいお兄さんのようなヘル・シューマンがクララも弟たちも大好きでした。

「また、面白いお話をしてくれるかな」
「鬼ごっこも一緒に出来るかな」
 と、子どもたちは、シューマンが来るのを楽しみにしていたのです。

 ヴィーク先生(フリードリッヒ・ヴィーク)は貧しい商人の家に生まれ、牧師になるために大学で神学を勉強しましたが、幼いころから大好きだった音楽を忘れられず、ライプチヒにやってきてピアノの先生になりました。彼は自分ひとりでピアノの教え方を熱心に研究し、その努力の甲斐あってライプチヒでも名高い先生になりました。
 やがて、彼は教え子の一人で、音楽の才能にも恵まれていた19歳のマリアンネと結婚し、今度は二人でピアノを教えるようになりました。
 そして結婚2年目の1819年9月13日、ヴィーク先生が33歳の時にうまれた女の子がクララです。やがて、3人の弟たちが次々生まれて、ヴィーク家はにぎやかになりました。

 しかし、子供が増えて子育てが忙しくなっても、ヴィーク先生はマリアンネにピアニストとして活躍することや、人に教えたりするよう命令していました。先生でもある夫の言いつけを黙って聞いていたマリアンネですが、我慢しきれなくなったのでしょう、4人目の子どもが生まれて間もなく子供たちを置いて家を出てしまいました。
 幼くしてお母さんと離れて暮らさなければならなくなったクララですが、さびしがっている暇はありませんでした。

「この子には、私の学んできたことすべてをたたきこんで、必ず超一流のピアニストにしよう。女性のピアニストはまだ珍しいから話題にもなる。歴史に残るような音楽家にしてみせよう」

 ヴィーク先生は、クララが生まれた時からそう決めていたのです。その期待通り、クララは言葉よりも先に音を覚え、4歳くらいから聞き覚えた曲をピアノで弾くようになりました。5歳になってヴィーク先生が本格的にレッスンを始めると、だれもが驚くほど上達してゆきました。
「この子は、私の期待以上の才能を持っている。」
 ヴィーク先生はますますクララの指導に熱が入ります。クララは学校へ通いながら、毎日お父さんのレッスンを受けて、その後は自分ひとりで練習です。身体のために運動や散歩もしなければならないし、少し大きくなると声楽や、音楽理論や作曲の勉強も始めました。ピアニストになるクララに人形遊びなどは必要ない、という先生の考えで、遊ぶこともなく幼いころからクララはピアニストになるための厳しい教育を受けていたのです。

 驚くことにヴィーク先生は、「将来大音楽家になった時のために」とまだ文字を書けないクララに代わって自分でクララの日記まで書いていました。
 やがて成長したクララはその日記を受け継いで、一生日記を書き続けることになり、お父さんの狙い通り今もなおクララやシューマンの人生を知る上で欠かせない資料となって残っています。

 クララが8歳の7月、ヴィーク先生は20歳年下のクレメンティネと再婚し、クララたちに新しいお母さんができました。音楽のことはまるでわからないクレメンティネでしたが、やさしく大人しい性格の彼女はクララたちを可愛がり、良き母、良き妻としてヴィーク家を守ってくれるのでした。
 この頃になると、ヴィーク先生は自分の家でひらく音楽の夕べや、音楽好きの人たちの集まりでクララの演奏を聞かせるようになります。
 最初にお話ししたカールス博士宅の音楽会もそんな機会の一つで、次第に「ヴィーク先生のお嬢さんは天才少女らしい」という噂が広まってゆきました。

 そして、10月20日。クララはついにゲヴァントハウスの演奏会に出演します。ライプチヒで一番由緒あるホールで演奏するということは、ピアニストとしてのデビューを意味し、実際9歳になったばかりの女の子の素晴らしい演奏は新聞でも大変な評判になりました。

 シューマンが初めてヴィーク先生のレッスンを受けにやって来たのは、この演奏会の少し前のことで、シューマンもヴィーク先生に厳しい指導のおかげで上達したことは前にお話ししたとおりです。
 その頃のクララは、元気いっぱいで豊かな感情を持ち、空想も大好きなあどけなさの残る少女で、シューマンには気の合う妹のような存在でした。

 やがて、ヴィーク先生はクララをライプチヒだけでなく、もっと広い世界で活躍できるピアニストにしようと演奏旅行にでかけてしまい、シューマンもレッスンを中断されたまま、仕方なくハイデルベルクに行っていたのです。
 それから2年が経ち、ハイデルベルクから戻ったシューマンが再びヴィーク家に現れたというわけです。

「クララ、大きくなったなあ」
 ちょっと会わないうちに、クララは子供からレディに成長していました。

「ピアノも一段と上手になったね」
 この2年、クララはドイツ各地で演奏して、ますます腕をあげて、幼いながら一流のピアニストとして知られるようになっていました。
 あまりに上手なので、
「クララ・ヴィークは11歳って言っているけど、本当は16歳で、一日12時間以上お父さんに練習させられているらしいよ」
 そんな根も葉もない噂が広まったほどです。
 あのヴァイオリンの天才的演奏家パガニーニも、クララの演奏に感心して小さな曲を贈ってくれました。
「羨ましいなあ。ぼくもパガニーニの演奏をフランクフルトで聞いたよ。
 彼の演奏には本当に驚いた。彼が弾くとつまらない練習曲もまるで神さまの
 音楽のように素晴らしくなるんだ。ぼくは彼の演奏を聞いて、やっぱりどう
 してもピアニストになりたいと思ったんだよ」
 と、シューマンは熱く語ります。
「ええ。私もあんなすばらしい演奏は聞いたことがなかったわ。
 お父様もパガニーニに負けないようなピアニストになりなさいって」
 クララも目を輝かせます。

 音楽に関しては大人顔負けのクララですが、そこはまだ11歳。普段はまだ無邪気な女の子です。
「ヘル・シューマン!何かお話を聞かせてよ。
 この間のアラビアのお話しの続きは?」
 子供好きのシューマンが弟たちにせがまれて聞かせる面白い話や怖い話が、クララも大好きでした。空想家のシューマンにとってお話を作るのはお手の物なのです。

 例えばある時は、遊んで欲しいと弟たちとせがまれたシューマン
 「わかったよ。じゃあちょっとここで待っていて」
 と、薄暗い夕方なのにランプを床におろすとどこかへ行ってしまい、
ランプの怪しい光だけが揺らめいています。
「お姉ちゃま、こわいよ」
「ヘル・シューマンはどこへ行ったのかしら」
 思わぬ展開に子どもたちがびくびくしていると、そこにけむくじゃらのお化けが!しかしそれは毛皮のコートをかぶったシューマンだったのです。みんな涙を流しながらも大喜びするのでした。

 そんな和やかな時もあったヴィーク家の暮らしでしたが、ヴィーク先生のレッスンはとても厳しいもので、ピアニストとしてのスタートが遅れたシューマンは、遅れをとりもどすために必死に練習しなければなりません。しかし、夜になれば多くの音楽家がヴィーク家に集まり、シューマンはその人たちの話や演奏にも大きな刺激を受け、ますます練習に励むようになったのです。

 この頃、多くのピアニストは、より速く強く指を動かすことで来た観客を驚かせていました。しかし、ヴィーク先生が大切にしたのは、それよりもその曲をよく理解して、きれいな音で気持ちを込めて弾く事でした。
 小さな女の子であるクララの演奏が評判になったのも、そこに秘密がありました。ヴィーク先生はシューマンにも同じように教え、ピアノの練習だけでなく、音楽理論もしっかり勉強するようにと言いつけていました。

 しかし、そう言いながら先生はクララを一流のピアニストに育てる事の方に忙しく、クララの演奏旅行のたびにシューマンのレッスンは中断してしまいます。仕方なくピアニストのフンメルのところに習いに行こうかと思うのですが、それに気づいたヴィーク先生にひどく怒られてしまいます。
                                   
 もともと、ヴィーク先生は、自分の考えを絶対に曲げない頑固で気難しい性格です。
「先生にとって大切なのはクララだけ。
 才能のない弟たちには暴力をふるうし、奥さんも大切にしない。
 ちょっとおかしいのではないか。
 クララのことだってお金儲けの道具だと思っているに違いない」
 一緒に暮らしていることで先生の色々な面を知ってしまったシューマンは、心から先生を尊敬できなくなってしまいます。

 一方のヴィーク先生も、シューマンの夢見がちな性格や考え方にはついていけないものがありました。先生と生徒は、お互いの才能を認めながら、どこかすれちがうものも感じるようになってゆくのです

 そんなモヤモヤしたシューマンの心をいやしてくれたのは、やはりクララの存在でした。
 例えば、練習に行き詰ったシューマンがやけになって酒場に繰り出し、二日酔いで寝込んでいると
 「ヘル・シューマン、昨日の夜はどこへ行ったのですか?
 また悪いお友達とお酒を飲みに行ったのでしょう。
 そんな時間があったら練習しなきゃ。お酒も飲み過ぎちゃだめよ」
 そういってたしなめてくれます。
「私、ヘル・シューマンのピアノが大好き。何か弾いて」
 そう言うクララに、シューマンはよく即興でピアノを聞かせていました。
 年も離れているのに何故か気の合う二人は、一緒にいると心が温かいものでいっぱいになるのでした。
 
 ピアノの練習に励む一方で、シューマンはすでに作曲にも熱心に取り組んでいます。ヴィーク先生からのお許しもあり、ついにハイデルベルクに居た時に作曲したピアノ曲「アベッグ変奏曲」が出版されることになりました。記念すべき作品1です。


 この曲は、ある舞踏会で会ったメタ・アベッグ(Abegg)というお嬢さんの名前から作られました。
「Abeggさんだって?名前がメロディになっているじゃないか。これは面白いぞ」
 ABEGGはドイツ語の音名として読むと、「ラ・シ♭・ミ・ソ・ソ」となるのです。名前を聞いてひらめいたシューマンは、それを3拍子のテーマにして、素敵な変奏曲を作りました。さらに、パウリーネ・フォン・アベッグという架空の伯爵夫人にその曲をささげるという凝りようです。

 次の年には、あのジャン・パウロの代表作「生意気盛り」という小説に出てくる舞踏会のシーンをイメージした「蝶々」というピアノ曲を完成させています。蝶々と言っても、お花の周りを飛び回る蝶々ではなく、仮面舞踏会につけるマスク(仮面)のことで、「生意気盛り」の登場人物フルトとヴァルトの兄弟、二人が恋をするヴィーナ、三人が恋模様を繰り広げる仮面舞踏会の様子をそれぞれ短い曲で表しています。

 まだ、作曲を始めたばかりだというのに、これらの曲にはすでに他の作曲家にはないシューマンの独特の世界が作られているのには驚かされます。
 音楽と文学というシューマンの二人の友達が、一緒になって今までにない曲を作り出したのです。
 
 シューマンの空想力は音楽以外でも発揮されます
人は誰でも色々な面を持っていますが、シューマンは自分の中にある活発な性格をフロレスタン、夢見がちで内気性格をオイゼビウスという二人の青年にして、日記や小説の中で活躍させるようになります。
 彼の中にはいつもこの二人が居て、ある時には華やかな音楽を、ある時は静かな音楽を作らせ、意見を戦わせているというのです。
 この二人の他に、シューマンは想像の中で次々と音楽の仲間を増やします。

「クララはキリアーナ、ヴィーク先生はラロ先生・・・。
 メンデルスゾーンはメリティスという名前にしよう。
 ぼくらは古いしきたりにしばられている音楽界の石頭どもに戦いを挑むんだ! 彼らを新しい音楽を作りだすダヴィッド同盟と名付けよう」
 シューマンの頭のなかでは、空想の音楽の仲間たちが熱心に音楽の話をして盛り上がるようになりました。
 
 そんなある時、シューマンは、一冊の楽譜を手に入れました。
「<ドン・ジョバンニのお手をどうぞ>による変奏曲」という曲で、モーツァルトの作曲したオペラ「ドン・ジョバンニ」の中の「手を取り合って」という有名なアリアをテーマにした変奏曲です。
 しかし、新しい音楽には敏感なシューマンも作曲家の名前を見て、首をひねりました。
「フレデリック・ショパン?聞いたことないな。ポーランドの作曲家らしいが」 
 そう、皆さまご存じ、あの有名な作曲家ショパンです。
実は、ショパンとシューマンは同じ1810年生まれの、いわば同級生です。
 しかし、シューマンはもちろん、ショパンも全くと言っていいほど人に知られていませんでした。
 「クララ、ちょっとこの曲を弾いてみてくれないか?」
 「ショパンさん?知らない作曲家ね…。でもとても素敵な曲!」
 「そうだろう。本当に素晴らしい作曲家だな。ぜひ一度会ってみたいものだ」シューマンはショパンという作曲家の才能に大きな驚きとショックを受けました。
 そして、シューマンはショパンの存在を多くの人に知ってもらおうと、ダヴィッド同盟の仲間たちにショパンについて語らせるという形で雑誌に発表したのです。
「『天才だ!諸君、帽子を取りたまえ』 と騒ぐフロレスタン、静かに制するオイゼビウス」
 で始まる文章は、シューマンが最初に発表した音楽評論で、この文によって無名の青年ショパンも世に知られるようになりました。そして、シューマンの空想の仲間たちもまた、シューマンのペンによって空想の世界から出て一層息づくようになりました。
 音楽と文学は兄弟だと言われますが、両方を深く愛するシューマンは、こうして音楽に関する文章を発表するなど、それまでにない音楽家として活躍しようとしていました。


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