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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 12

第一楽章 シューマンの物語

11、禁じられた恋

 ヴィーク父娘についてツヴィッカウまでやってきたシューマンは、クララの演奏会を聞き、お母さんにクララと結婚を考えていることを告白しました。

「あなたのお嫁さんにはクララさんしか居ないと私は最初から思っていましたよ」
 お母さんはとても喜んでくれましたが、少し顔を曇らせてつづけます。
「でも、あなたはその前に一つすることがあるでしょう。
 エルスティーネさんとのお約束はどうするの?ちゃんと手紙を書いて謝らなければ。すべてはそれからですよ」
 ふたりの婚約は、まだ解消されていた訳ではなかったのです。しかし、心やさしいエルスティーネはシューマンの別れの手紙に対して
「あなたが私よりクララさんを愛していらっしゃることは前からわかっていました。私のことはお気になさらずどうぞお幸せに」
 と、二人の事を許して祝福してくれました。
この後、エルスティーネは結婚し、すぐに未亡人になってしまいますが、シューマン夫妻との友情はエルスティーネが若くして亡くなるまで続きました。

 エルスティーネとの事が解決して、もうシューマンとクララの間に立ちふさがるものは何もなくなったはずでした。この年のクリスマス、シューマンはクララに真珠のネックレスをプレゼントしました。

「真珠は涙を表すと母は言うけれど、それはきっと幸せの涙だよ。
もうぼくたちの間を邪魔するものは何もない。
ヴィーク先生だって二人の結婚をきっと喜んでくれるにちがいない」
「ええ。父はあなたの才能をとても高く評価していますもの」
 シューマンもクララもそう信じて疑いませんでした。

 ところが・・・。

二人が恋人同士になったことを知ったヴィーク先生はかんかんです。

「この間からどうもおかしいとは思っていたんだ。お前はまだ子供で何もわかっていない。あんな男と結婚なんかしたらお前が不幸になるのは目に見えている。いいか、もうロベルトは家には入れないし、お前もヤツと会ったり手紙を書いたりしては絶対にだめだ。あんな男のことは忘れてしまいなさい」

 そう命じると、年明け早々クララをドレスデンに連れて行ってしまいました。愛する人と引き裂かれたクララは、気持ちの整理がつかないままドレスデンで演奏会のための練習に明け暮れなければなりませんでした。

 思ってもいなかったヴィーク先生の態度に混乱するシューマンに、さらに追い打ちをかけるような悲しい知らせが届きました。
シューマンが誰より愛するお母さんが亡くなったのです。

「ぼくの心はどうかなってしまいそうだ。
 クララ・・・君に会いたい。会わなくては」
 シューマンはツヴィッカウに帰る前にドレスデンに立ち寄ることにしました。幸いにもヴィーク先生は留守で、シューマンとクララはひそかに会うことが出来たのです。そして4日後。クララのおかげで気持ちを落ち着かせることができたシューマンは、お母さんの待つツヴィッカウへと向かいました。

「本当に大丈夫ですか?」
「ぼくはもう大丈夫だ。
 クララ、君こそ決して心変わりしないと誓ってくれるかい?」
 駅まで送りに来たクララは、別れの悲しさに沈みながらもしっかりとうなずくのでした。

 1936年2月11日。
この日は二人にとって忘れられない別れの日でした。
なぜなら、恋人たちは再び会うまでに長い月日を過ごさなければならなかったのです。
 ツヴィッカウでお母さんと永遠の別れを済ませたシューマンは、ライプチヒに帰る途中で、クララに長い手紙を書きました。
 ドイツ語には相手に呼びかけるとき「Sie」と「Du」という2種類の「あなた」という言葉があります。2つのうち「Du」はよほど親しくなければ使いません。日本語では「お前」というようなニュアンスでしょうか。シューマンはこの時から、クララを「Du」で呼ぶようになっています。

「1836年2月13日 夜、10時すぎ ツヴィッカウ駅馬車停留所にて
ぼくの眼は眠くてつぶれそうです。もう2時間も前から急行馬車を待っています。道が悪いので午前2時までは出発できないでしょう。

 愛する愛するクララ。あなたはまだぼくのそばにいて手を伸ばせばこの手に抱けるような気がしています・・・・。
 どうかぼくを愛してください。ぼくは多くをささげるので、多くを欲しいのです・・・・お父様もぼくが祝福を求めるときには手を引っ込めるようなことはしないでしょう・・・私たちはお互いのものになる運命なのです。・・・ぼくが言葉では言えないほどあなたを愛していることを知ってください・・・・

 部屋が暗くなってきました。お客たちはぼくのそばで眠っています。
外は吹雪ですがぼくはクッションをあてて片隅にもぐりこみあなたのことばかり考えています。ではさようなら。 
                ぼくのクララへ。あなたのロベルトより」

 なんとロマンチック手紙でしょう。

 しかし、ドレスデンに戻ったヴィーク先生は、二人がひそかに会ったことを知って、火のように怒り狂いました。

「何ということだ!あのろくでなし!中退野郎!なまけもの!最低の男だ!今度クララの前に現れたら絶対に射ち殺してやる」
 大好きな人の事を、あらゆる言葉を使って自分の父親がののしるのを、クララはじっと我慢するしかありません。

「お父様は、ヘル・シューマンをドイツのショパンとか第二のベートーヴェンとかおっしゃって、認めていらっしゃったではありませんか」
と、涙ながらにクララが訴えても
「それとこれは全く別問題だ。少なくともお前の結婚相手にロベルトはふさわしくない」
 ヴィーク先生は聞く耳を持ちません。

 先生にとってクララは、ただ大切な一人娘というだけではなく、一流のピアニストにするためにすべてをささげて育ててきた大切な宝物です。
 それを、ようやくピアニストとして活躍できるようになってきたところで、収入もなく、将来もはっきりしないうえに、精神的にも不安定なシューマンに取られてしまうのは、我慢できないことでした。
 そこで、「今後一切我が家とはかかわりを持たないように」という絶交の手紙をシューマンに送り付け、まるであてつけるようにパンクという青年をクララの作曲の先生として雇う事にしました。

 春になってクララはライプチヒに帰って来ていましたが、同じ街に住みながら二人は会うこともできなくなってしまいました。たまに街でばったり会っても、人目を気にして素知らぬふりをしなくてはいけないのですから、とても辛い日々でした。
 しかし、クララはその悲しみをピアノや作曲に打ち込むことで乗り越えようとしました。

 そんなクララの心の支えになったのは、あのメンデルスゾーンとショパンです。クララはメンデルスゾーンに影響されて、自分もバッハやベートーヴェンの曲を演奏会でとりあげようと、熱心に勉強していました。

 また、この頃ショパンが再びライプチヒにやって来たことも、クララにとって嬉しいことでした。
「私が作った曲を聞いて下さる?」
「おお、素晴らしい曲ですね。私にも楽譜を頂けますか?」
「もちろん喜んで。もうすぐ私の17歳のお誕生日なのですが、ショパンさんが来て下さったことが何よりのプレゼントだわ」

 ピアニストとして名高いクララですが、前にも書いたように、実は作曲家としてもなかなかの才能を持っていました。
 シューマンの陰に隠れていたクララの曲が注目されるようになったのは最近になってからの事ですが、情熱的で素敵な曲が沢山あります。ショパンに褒めて頂き自信をつけたクララは一層熱心に作曲にも取り組むようになりました。
 そして、ショパンの曲もクララの大切な演奏会のレパートリーになってゆくのです。
 この時ショパンはシューマンのことも訪ねています。尊敬するショパンに再び会う事ができて、沈んでいたシューマンの心はどれだけ励まされたことでしょう。
 
 シューマンもまた、同じ街に住むクララに会えないばかりか、ヴィーク先生とも絶交状態になってしまい大変苦しんでいました。
「クララはパンクとか言う新しい作曲の先生と恋仲らしいよ」
 そんな噂も聞こえてきます。

 6月になってシューマンはクララへの想いを込めた嬰へ短調のソナタを「フロレスタンとオイゼビウスよりクララへ」として出版し、その楽譜をクララへ送りました。
 するとクララはその楽譜と共にシューマンからの手紙もすべて送り返してきたのです。もちろんヴィーク先生に言われての事ですが、シューマンの受けたショックがどれほど大きかったかは想像できるでしょう。
 ひそかにヴィーク家の前にたたずんで、家から聞こえてくるクララのピアノを聴くことが彼に出来るただ一つの事でした。何とかクララの事をあきらめようと、バッハの音楽を研究したり本を読んだりして気をまぎらわしますが、それでも思いを抑える事ができないシューマンは、お酒を飲む量も増え、酔っ払って大騒ぎをする始末。そんなシューマンのあふれ出る思いは、2曲のピアノソナタ(作品14、22)や幻想曲(作品17)になって後の世に残ることになるのでした。
 
特に「幻想曲」は「クララへの深い嘆き」を音楽にしたもので、曲の初めにはシュレーゲルという人のこんな詩が掲げてあります。

「色とりどりの大地の夢の中で
 あらゆる音を貫いて響いてくる
 かすかな一つの音が
 ひそやかに耳を傾ける人に」


 また、曲の一部にはベートーヴェンの歌曲集「遥かな恋人へ」の一部が使われていて、情熱的で甘く切ないこの曲を聞くと、クララへの愛がどれほど強く激しいものだったかがうかがわれます。

 深い苦しみの中で、時間をかけて作られたこの曲は音楽的にも今までにないスタイルで、クララへの愛は、シューマンの音楽を進化させるのに大きな力になっていたのです。



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