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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 5

第一楽章 シューマンの物語

4、ハイデルベルクの青春

 ハイデルベルクは、ライン川の支流ネッカー川のほとりにあり、街の中心に古いお城がそびえ、美しい渓谷と緑が美しい落ち着いた街です。

「ようやく君がこちらに来てくれてほんとうに嬉しいよ」
 この街で迎えてくれたのは親友のローゼンと、一足先にハイデルベルク大学に転校していた親戚のゼンメルです。
「ぼくも、君たちと会うのを何より楽しみにしていた。それにやはりここは美しい街だな。ライプチヒとは大違いで生き返ったようだ。
本当に来て良かった」
 シューマンは心からそう思っていました。
 緑豊かなハイデルベルクはまた学生の街としても有名で、学生は人々から尊敬され、大切にされていました。自由な雰囲気のなかで伸び伸びと過ごしている学生たちに囲まれ、シューマンもようやく落ち着いて学生生活を送ることができたのです。

 けれど、熱心に勉強したのは法律よりもイタリア語やフランス語などの語学で、休みになると「生きた語学を学ぶため」という理由を付けてイタリアに長い旅行にも出かけています。時にはローゼンや他の学生たちと酒場などで集まって騒いだり、遊んだりして楽しい時を過ごすこともありました。

 何よりもシューマンにとって大切だったのは、お気に入りの自分の部屋からたそがれ時の美しいハイデルベルクを眺めながら空想にふける時です。彼はハイデルベルクに着くと、すぐに部屋にピアノを借り入れ、「交響曲」や、のちに出版されるピアノ曲も作曲し始めています。美しい景色や落ち着いた環境は、シューマンの想像力をかきたててくれたのでしょう。

 残念なことにハイデルベルクは、ライプチヒのように音楽が盛んというわけではありません。しかし、
「ライプチヒから来たロベルト・シューマンは素晴らしいピアニストらしい」
 という噂が広まると、シューマンはあちこちからひっぱりだこになります。
シューマンの演奏に感動したバーデン大公のステファニー妃からは、
「ぜひ我が都のマンハイムいらして下さい。あなたの演奏を多くの人たちに聞かせたいわ」
 と、招待されたほどで、ちょっとしたスターです。

 一方で、相変わらず大学はさぼりがち。ティボー先生の授業はとてもためになる素晴らしい授業でしたが、どうしても法律の勉強が面白いとは思えず、シューマンの心はまだ音楽や文学を求めてさまよっていました。
 しかし、シューマンにとって都合が良いことに、教授は音楽に関する論文も書き、毎週木曜日の夜自分の家でヘンデルの「オラトリオの夕べ」を開くほどの音楽好きだったのです。
 このオラトリオの会は、70人もの歌い手が集まって教授の伴奏で歌う本格的なもので、シューマンもこうしたティボー教授の音楽の集まりには必ず参加しました。一方、教授もシューマンの才能をすぐに見抜き、彼が法律の勉強に熱心でないことを責めるどころか、
「君が生まれてきたのは法律家や役人になるためではないだろう。何を迷っているんだ」
 と、むしろ音楽のへ進むようにすすめ、励ましてくれたのです。

 ハイデルベルクまで来たものの、将来に対するシューマンの「迷い」や「悩み」はなかなか解決しません。このまま好きでもない法律の道を歩いても、結局は後悔の残る人生になるのではないだろうか・・・。長い間悩み続けて一つの結論を出したシューマンは、思い切ってお母さんに手紙を書きました。

「ぼくのこれまでの生活は、音楽と法律の戦いのようなものです。
 ライプチヒでもハイデルベルクでも、芸術への愛着が深くなりました。
 ぼくは今十字路に立っています
 ぼくの守護神は芸術への道を示しています・・・。
 お母さんが反対される理由もわかっています。けれどぼくは不幸になる道を
 選びたくありません・・・。
 今やぼくは辛抱強く良い先生のもとで勉強すれば立派なピアニストになれる
 自信がもてるようになりました・・・。
 音楽の道に進むのなら、すぐにライプチヒに戻ってヴィーク先生の所で修業
 しなければなりません。
 そして、その後はウイーンへ行き、モシュレスのところへ行かなくてはなり
 ません。
  そこでお母さんに一つお願いがあります。
 ヴィーク先生のところにご自分で手紙を書いて、 
 先生がぼくの将来についてどう考えているかたずねてみてください」

 その手紙を受け取ってシューマン家の人たちは大騒ぎです。
「ロベルトは法律の勉強のためにハイデルベルクへ行ったのではないのか?
ちゃんと法律を勉強して役人になって欲しいと思うからこそ、ロベルトが望むままに仕送りもしていたのに。
大体、お母さんは昔からロベルトに甘すぎるんですよ」
 と、お兄さんたちはかんかんです。

 いつかこういう日が来るのではないかとずっと心配していたお母さんはショックの余り寝込んでしまいました。けれど、ロベルトがどれほど深く音楽や文学を愛しているかも知っているお母さんは、考えた末ヴィーク先生に手紙を書きました。ヴィーク先生からはすぐに返事がきます。


フリードリヒ・ヴィーク

「お母さまのご心配もわかりますが、息子さんは才能があります。
 私に預けて頂き、毎日私のレッスンを受け、私の決めた教師に音楽理論を
 習えば、3年で必ず一流のピアニストにしてみせましょう。
 彼はあのモシュレスやフンメルよりもっと素晴らしいピアニストに
 なれるでしょう」

 その返事を受け取ったお母さんは大きなため息をつき、そしてシューマンが音楽の道に進むことを認めることにしたのです。

「ありがとう、お母さん。ぼくはきっと立派なピアニストになってみせます。芸術と共に暮らせるなら、たとえ貧しくても幸せになれるはずです」
 シューマンは心からお母さんに感謝し、誓うのでした。

 こうして、ようやく夢を取り戻したシューマンは、強い決意を持ってライプチヒに戻り、再びヴィーク家の前に立ったのです。家の中からは美しいピアノの音が聞こえています
「クララが弾いているのだな」
 シューマンは少し微笑み、そしてヴィーク家の門をたたきました。
 ようやく音楽家としての人生が本格的に始まろうとするとき、シューマンはもう21歳になっていました。

扉絵はハイデルベルク


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