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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 1

第一楽章 シューマン

序・運命の出会い

それは1828年。春まだ浅い3月31日のことでした。

ドイツの東部の都市・ライプチヒにあるカールス博士の家では、音楽家や音楽愛好家を集まって華やかなパーティが開かれていました。医師である博士は大変な音楽好きとして知られていて、たびたび自宅でコンサートやパーティを開いていたのです。妻のアグネス夫人は声楽家で、この日も自慢の歌をお客さまに披露しています。

その歌を聞き入っているお客様のなかに、柔らかな金髪をなびかせ、夢見るような瞳をした一人の青年がいました。

「あの方はどなたかしら?」

すらっと背の高いその青年はどこかの王子様のようで、その場に居た人たちの注目を集めていましたが、青年は自分から話すことが苦手なのか、大きな背を丸めるようにして人々の話を黙って聞いているだけです。

「やあ、ロベルト、そんなところに居たのかい。よく来てくれたね。ちょっとこちらにいらっしゃい」

カールス博士は青年を見つけると側に呼んで、ほかのお客様に紹介しはじめました。

「皆さん、今日は珍しいお客様が来てくれましたので、ご紹介いたします。この青年はロベルト・シューマン君と言い、ツヴィッカウの出身ですが、このたびライプチヒ大学の法学部に入学して、このライプチヒにやってきました。私たちは彼とツヴィッカウの親戚の家で知り合いましてね。私がこのライプチヒに来たのをまるで追いかけるように、彼もまたライプチヒにやって来たという次第です。

実は、彼は大変優秀な音楽家で、ピアノも上手いし、作曲もします。音楽や文学に対して大変詳しく、私など彼に教えてもらいっぱなしですよ。皆さんもぜひお見知りおきを」

「彼の音楽は本当に素晴らしいのよ。ぜひ皆さんにも聞いていただきたいわ」

博士夫人も言い添えます。

皆に拍手で迎えられ顔を赤くしていた青年は、あこがれている美しい夫人にもそう言われてなおさら真っ赤になってしまいました。

「では、お待ちかねの音楽会に移りましょう」

博士のその言葉に、お客様たちは待っていましたとばかりにピアノのある部屋に集まってきました。

「今日はわがライプツイヒが誇るピアニスト・クララ・ヴィーク嬢のピアノをお聞きいただきます。ご存じのとおり、クララ嬢はライプチヒで一番、いえドイツでも一番のピアノ教師フリードリッヒ・ヴィーク先生の愛娘まなむすめで、モーツァルトの再来との呼び声高い天才少女であります。今夜の曲はフンメルのピアノ三重奏曲です。どうぞゆっくりお楽しみ下さい」

そう言われて登場したのは、大きな黒い瞳が印象的な、まだあどけなさの残る少女。大人のヴァイオリニストとチェリストにはさまれて、大きなピアノの前にちょこんと腰かける姿は、まだ本当に子どもです。しかし、甘く見てはいけません。ひとたび演奏を始めれば、大人顔負けの素晴らしさで、音楽にうるさいお客様たちの心をすっかりとりこにしてしまいました。

「クララはまだ9歳でしょう?信じられないわ」

「ヴィーク先生がすべてを賭けてスパルタ教育しているらしいからね」

「今日は話題のクララの演奏を聴くことができて良かったわ」

と、皆大喜びです。

「いや、ヴィーク先生、素晴らしいですなあ。クララちゃんはまた一段と腕を上げましたね」

そう褒ほめられてもヴィーク先生は

「いや、まだまだです。クララはすぐに怠けるし、頑固でちっとも練習がはかどりません。全くお恥ずかしい。まだ人様の前で弾けるようなピアノではありません」

と、厳しい顔をしています。

 ロベルト青年も博士や他のお客様と同じように、クララの演奏に感動していました。

「まだ小さな女の子が、こんなに素晴らしい演奏をするなんて…。ぼくはお母さんの言うとおり、音楽の道はあきらめてしっかり法律の勉強をしなくては。ああ。でもぼくもヴィーク先生に教えて頂けたらなあ・・・。せめてお近づきになりたいものだ」

しかし、内気なロベルトはヴィーク先生に話しかけるなどという事はとてもできません。そんなロベルトの気持ちをわかっていたのか、博士はヴィーク先生にロベルトを紹介してくださいました。

「ヴィーク先生、こちらがロベルト・シューマン君ですよ。妻がたいそうお気に入りでね。機会があったらピアノを教えてやってください」

けれど、気難しいヴィーク先生は、法律家の卵などに興味はありません。

「君は法律を勉強しにライプチヒにやってきたのではないのか?」

「ええ。本当はベートーヴェンやシューベルトのような音楽家になりたいのですが、母が許してくれないのです。ぼくの一番の夢はすばらしいピアニストになることなのですが」

「ほう・・・。ベートーヴェンが亡くなってちょうど一年になるな。まだ、あまり知られていないが、シューベルトの音楽は今に多くの人に愛されるようになるだろう」

「ええ。ぼくもそう思います」

内気なシューマンも、音楽の話となると人が変わったように目を輝かせ、音楽や文学に対する広い知識と確かな目や耳に、ヴィーク先生は「なかなか見どころのある青年だ」とひそかに感心しました。

「機会があれば君のピアノを聞いてみよう。ただし、私のレッスンは厳しいよ」

ヴィーク先生は気難しい顔のまま、そう言いました。

「本当ですか!ありがとうございます。ぜひよろしくお願いします」

シューマンの胸は期待と希望にあふれて、暗闇の中に一筋の光が見えたような気がしました。

「お母さんは、音楽を禁止したわけではないのだし、せっかくライプチヒに来たのだから、法律の勉強も音楽の勉強も頑張ってみよう」

そう心に誓うのでした。

一方・・・・。

「お父様とお話ししている方はどなたかしら?やさしそうなお兄さま」

クララは遠くからシューマンの事を見ていました。

ロベルト・シューマン18歳。クララ・ヴィーク9歳。

音楽史に残る大ロマンスの幕がこの時静かに切って落とされているなど、知るはずもない二人でした。

★扉の写真はシューマン


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