やさしく読める作曲家の物語 シューマンとブラームス 27
第三楽章 シューマンとブラームス…そしてクララの物語
1、新しき友、新しき道
さて、お話しをまたシューマン家に戻しましょう。
ブラームスがシューマン家を訪ねてきた翌日。
家の前には、昨日と同じようにブラームスが立っています。
ふう….
大きく息を吐いて不安な心を追い払うと、彼は勇気を奮い起こしてシューマン家のドアをたたきました。
「シューマン先生はいらっしゃいますか?
あの… き、昨日もお訪ねしたブラームスと言います。
あ、その….ハンブルクから来ました」
ちょっと甲高いその声を聞いて扉を開けたのは、今度はシューマン本人でした。
「やあ、ようこそ。昨日は留守にしていてすまなかった。中に入りたまえ」
あこがれのシューマン先生は、親切にもブラームスを直接家の中に招き入れてくれたのです。物静かな感じのシューマン先生は部屋着姿のくつろいだ姿で、やさしく語りかけます。
「ヨアヒム君の友達だってね。話は聞いたよ。君の曲を聴かせてくれるかい?」
シューマン先生の前で演奏できる!
ぼくの曲を聴いてもらえる!
それはブラームスにとって夢のような瞬間でした。
緊張で固くなりながら、彼は一生懸命自分で作った曲を弾きました。現在では作品1として知られているソナタの第一番です。
ところが、演奏が始まるやいなや
「ちょっと待って」
と、シューマンは突然席を立って、部屋を出てしまったではありませんか。
「何か失礼があったのだろうか?やはり来るのではなかった。
こんな曲をお聞かせするのではなかった」
ブラームスの心は不安でいっぱいになってしまいます。
しかし、シューマンの方は数小節聞いただけで、この青年が並はずれた才能の持ち主だとわかり興奮していました。
彼は急いでクララの部屋へ駆けつけ
「クララ、ちょっと来てごらん。素晴らしい才能がやってきたよ。ほら、早く」
と、クララを連れてブラームスのもとへ戻ります。
「失礼した。妻のクララにもぜひ君のピアノ聴かせたいと思ってね」
「はじめまして、ブラームスさんでしたかしら?
私にもぜひ聞かせてちょうだい」
と、クララは優しく語りかけました。
一方、ブラームスも
「この方がクララさん!なんて素敵な女性なんだろう・・・」
有名なピアニストでもある美しいクララを前に、緊張と恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、ふたたび懸命に演奏しました。
クララは、ピアノの前に座っている青年が、まだあどけなさの残る若者であることに驚きましたが、ピアノを聴くとその驚きは大きな感動に変わって行きました。夫を見ると、彼もまたヨアヒムの演奏を聴いたときと同じように、興奮しているのがわかります。
「何て素晴らしい才能なんだ。いや、来るべき人が来たという方が正しいのかもしれない。新しい音楽の道を切り開く人が」
そして、夫妻はこの青年が、シューマンと同じように夢見がちで内気な人間であることを知り、ますます身近に思えるのでした。
「本当に。神様がつかわして下さった天使のようだわ」
クララも興奮を隠せないでいます。
「本当だ。ヨアヒム君には感謝しなければ。私は君がやってくるのをずっと待っていたような気がするよ。どうだろう、もし良かったらしばらくこの家でゆっくりしないか?君とはもっと音楽について色々話がしたい」
「是非そうしてちょうだい。私もあなたのピアノがもっと聞きたいわ」
思いもかけないシューマン夫妻の申し出に、ブラームスは天にも昇る気持ちで答えました。
「ありがとうございます!」
その日は、ブラームスにとっても、またシューマン夫妻のとっても忘れられない出会いの日となりました。
シューマン本人の言葉通り、天才を本当に理解できるのは、同じようにすぐれた才能を持った天才です。
実際、シューマンは日記に「ブラームスが来る(天才)」と記しています。
シューマン、クララ、ブラームス
この日は、3人にとって運命をかえる出会いの日になりましたが、同時にまた、音楽の歴史に残る輝く星のような3つの才能が、出会った歴史的な日でもあったのです。
こうして、シューマン家に留まることになったブラームス。
クララは彼に直接ピアノを教えるようになりました。
「ヨハネス・ブラームス・・・。
素晴らしい才能の持ち主だわ。
彼がピアノを弾いている姿の何と美しい事でしょう。
どんな曲でも簡単に弾きこなしてしまうのね。
それに彼はロベルトに良く似ているわ。
内気で人付き合いが苦手で、音楽の世界にだけ生きているような人。
彼のような人にはだれか手助けする人が必要なのよ」
ちょっとしたアドバイスでますます上達するブラームスに、クララも満足そうです。そして、この才能はあふれる若い友人をもっと多くの人に知ってもらいたいと、音楽家仲間を集めてブラームスを紹介してくれました。
歓迎していたのは夫妻だけではありません。
6人の子どもたちも、このちょっと変わった、でも心のやさしいお兄さんが大好きになりました。
「ヘル・ブラームス!」
と、呼んでまとわりついている子どもたちをみてクララは
「昔を思い出すわ。ね、ヘル・シューマン。
彼はやっぱりあなたに良く似ている」
と、微笑むのでした。
一家そろっての歓迎ぶりに、はじめは遠慮がちだった内気なブラームスも、
いつの間にか家族の一員のようになってしまいます。家庭の暖かさを知らなかったブラームスにとってもそこは居心地の良い場所でした。
特にシューマンはブラームスが自分の跡継ぎ・息子のように思えてなりません。
「素晴らしい友人を紹介してくださってありがとう。もう少し若ければ私はハンブルグから来たあの若い鷲のために美しい文章を書いたでしょう」
シューマンは興奮さめやらず、といった具合でヨアヒムに手紙を書きます。
そして、実際久々にペンを取り、ブラームスを紹介する文章を「音楽新報」に掲載することにしました。
「何年もの年月が過ぎた。かつてはここで数々の発言をしたものだが・・・
今までも数多くの才能に刺激を受けて来たけれど私はいつか突然一人の人物が現れるだろうと思っていた・・・
そして彼は来た。そのゆりかごが優雅な女神と英雄に見守られてい若者が。
彼の名はヨハネス・ブラームスと言う・・・」
こんなに熱心に一人の作曲家をたたえる文を書いたのは、20年まえショパンについて書いて以来の事でした。
それほど、シューマンはブラームスの才能を高く、正しく理解していたのです。
「ぼくの作品はとても皆さんの期待に応えられるようなものではありません」
そう謙遜するブラームスでしたが、シューマンは
「何を言っているんだ。もっと自信を持ちなさい。
そうだ、ライプツイヒに行くと良い。あそこには音楽のわかっている人が沢山いるし、ちょうど私の友人がライプツイヒで出版の仕事をしているから、君のその素晴らしい作品を是非出版させてもらうと良い。
どんな名曲だった人に知られなければ何にもならないのだからね」
と、言って後押しをするのでした。
そんなある日、ヨアヒムがデュッセルドルフに帰ってくるという知らせが届きました。
「どうだろう、ヨアヒムを歓迎するためにみんなでヴァイオリンソナタを作らないか?ブラームス君を紹介してくれて私はヨアヒム君に感謝しているんだよ」
シューマンはそう提案して弟子・ディートリヒとブラームスと3人でそれぞれ分担して4楽章からなるソナタを作曲しました。
今日「F・A・Eソナタ」として知られているソナタで、ヨアヒムがいつも言っている彼のモットー
「自由にしかし孤独に」(Frei Aber Einsam )
からそう名付けられました。
紹介した友達のヨハネスがシューマン家で歓迎され、またそんな素敵なソナタを作って頂いて、ヨアヒムはさぞ喜んだことでしょう。
こうして約1か月、ブラームスは夢のような日々をシューマン家で過ごし、ふたたびハノーファーにいるヨアヒムのもとへと旅立って行きました。
ブラームスがハノーファーに戻ってしばらくしたある日
「ヨハネス、君、これを読んだかい?」
と、ヨアヒムが興奮気味に一冊の本を持ってきました。それはあの「音楽新報」で、そこには「新しい道」と題してブラームスの事をこれ以上ないほどに褒めたたえて書きつづったシューマンの文章が載っていました。
余りに熱烈なその記事を読んで、ブラームスは嬉しさを通り越して、びっくりするやら、恥ずかしいやら・・・。
この記事のおかげで、無名の作曲家ヨハネス・ブラームスは一躍有名になりましたが、もちろんだれも彼の音楽を聞いた人がいないのですから
「ブラームスなんて音楽家、聞いたことも無い。
本当にそんな才能の持ち主なのか?」
「音楽新報も昔は素晴らしい批評が載っていたけど、長い間シューマンは何も書いてこなかったじゃない。突然こんな名もない人を取り上げるなんておかしい」
「シューマンも昔の彼じゃないからね。彼の耳も悪くなっているんじゃない か?」
と、人々は勝手な噂をしています。
ただでさえ人付き合いの悪いブラームスにとって、シューマンの文章はありがたい事でもあると同時に、大きなプレッシャーにもなってしまいました。
それでも、シューマンに励まされ、恐る恐るライプツイヒに出かけたブラームスですが、迎えたライプツイヒの音楽家たちは、あの謎の音楽家・ブラームスがやって来たというので皆興味津々。
しかし、おかげでベルリオーズをはじめとする音楽家や音楽好きの人たちと次々知り合いになり、ブラームスは彼らに受け入れられたのです。
「いやいや、ブラームスさん。どれも素晴らしい曲ばかりじゃありませんか。
さすがにシューマン先生が認めただけのことはありますな。
他にもっと曲はないのですか?ある限り私どもで出版させて頂きますよ」
と、出版社も大騒ぎです。
ついこの間まで無名の青年だったブラームスは、余りに回りの様子が変わってしまって目が回りそうです。それでも慎重なブラームスは自分でも自信のあるソナタや歌曲集だけを出版してもらうことにしました。
「作曲 ヨハネス・ブラームス」
そう書かれた楽譜が出来上がり、ブラームスは今まで味わったこともないような感激を味わいました。
「これもすべてシューマン先生のおかげだ。感謝してもしきれない」
彼は心をこめてその楽譜をシューマンに送ったのでした。
さらに12月17日には、名高いゲヴァントハウスで、あの1番のソナタなどを演奏し大喝采。もうブラームスの才能を疑ったり、馬鹿にしたりする人は居ません。
その成功をお土産に、今や知る人ぞ知る若手音楽家となったブラームスは、クリスマスを家族と過ごすために満ち足りた気持ちでハンブルクへと帰って行きました。
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