やさしく読める作曲家の物語 シューマンとブラームス 8
第一楽章 シューマンの物語
7.作曲家シューマン
「ぼくはもうクララのようなピアニストにはなれない。
左手だけでも何とか弾けるチェリストになろうか。
それともやはり作曲家がよいだろうか?」
手を傷めてしまい絶望の淵にあったシューマンは散々悩んだ末、
ベートーヴェンのような大作曲家になろうと決意を固めました。
「そのためにはまずベートーヴェンに負けない立派な交響曲を作曲しなければ」
そう覚悟を決めたシューマンは本格的に交響曲の作曲に取り掛かり、
11月にはふるさとツヴィッカウでヴィーク先生とクララが開いた演奏会で、
作ったばかりの第一楽章を披露しました。
クララ・ヴィークとロベルト・シューマン。
二人の名前が初めて並んで記された記念すべき演奏会です。
しかし、評判になったのはクララの演奏で、彼の交響曲の出来は余り良くありません。シューマンは悪い所を直しながら、他の楽章の作曲にも取り掛かります。そして、翌年の春にはゲヴァントハウスでのクララの演奏会で、作り直した第一楽章を演奏しました。
けれど、またもや満足のゆく出来ではなく、この交響曲は結局完成することはありませんでした。
思うような交響曲がなかなか作れなかったシューマンですが、ピアノ曲を作るのは得意です。
叶う事がなかったピアニストになるという夢を五線譜に込めたのでしょうか。
前回お話した『アベッグ変奏曲』『蝶々』の他に『謝肉祭』(作品9)『トッカータ』(作品7)『交響的練習曲』(作品13)など、作曲を初めて10年ほどの間に、今日でもピアニストにとっては宝とも言えるような素晴らしい名曲を沢山産みだしていくことになります。
シューマンが多くのピアノ曲を作曲できた大きな理由のひとつに、すぐ身近にクララという素晴らしいピアニストが居たことを忘れてはいけません。
大きな瞳を輝かせ、好奇心いっぱいでいつも元気だったクララも、ちょうど子供から大人へ変わる時期で、時には両親に反抗したり、わがままを言ったりと、ちょっと難しいお年頃になっていました。
けれど、ヘル・シューマンとは腕をくんでお散歩にいくほどの仲良しです。
空想家のシューマンは、散歩の最中も自分の世界に入り込んでしまうのか、上の空で歩いていることがあります。そんな時、クララは後ろから邪魔をしないようについて歩き、道に大きな石があったりすると、そっとシューマンの袖を引っ張って教えてあげるのです。
「ヘル・シューマン、ほら石が・・・ああっ」
おやおや。クララの方が転んでしまったようです。
才能ある音楽家の二人も、普段は夢見がちなお兄さんと、しっかり者の妹のような関係です。
ツヴィッカウの演奏会に出演した時、クララは初めてシューマンのお母さんと会いました。
「まあ、ロベルトが手紙に書いてきたとおり、素敵なお嬢さんだこと」
シューマンのお母さんも、才能あふれてチャーミングなクララがすっかり気に入りました。そして、ある時クララを抱きしめて
「いつかきっとロベルトと結婚してくださいね」
と、言いました。
まだ結婚など考えたこともなかった13歳のクララの心に、なぜかその言葉は大切な秘密のように忘れられないものとして残ったのでした。
演奏会が終わり、ツヴィッカウに残ったシューマンと別れてライプチヒの家に帰ったクララは、疲れが出たのでしょうか、猩紅熱という病気にかかって寝込んでしまいました。
何日か経ち、ようやく熱が下がってベッドから離れると、クララはすぐにシューマンにあてて手紙を書きました。
「お懐かしいシューマンさま」で始まる手紙には、もう病気は治ってピアノを弾いていること、お正月にはゲヴァントハウスの音楽会で演奏することなどとともに、ヴァーグナーがライプチヒで交響曲を発表してシューマンを追い抜かした事も報告されています。
シューマンが忘れ物をした事をからかうようなところもあり、クララの少女らしい生き生きとした手紙はシューマンを喜ばせました
この後二人の間には数えきれないほど多くの手紙がやり取りされることになり、シューマンはクララの手紙にどれくらい慰められたかわかりません。
春になって、シューマンがライプチヒに帰ってくると、クララはピアニストとしてますます活躍していました。
声楽や作曲の勉強も熱心に取り組んで、すでに自分で作曲した曲を演奏会のレパートリーにも加えていました。その中の「ロマンス」という曲が気に入ったシューマンはその曲をもとに「クララ・ヴィークのテーマによる10の即興曲」というピアノ曲を作りました。
クララ・ヴィークとロベルト・シューマン
ふたつの名前はまた一歩近づいたようです。
シューマンはクララの才能をとても高く評価していて、演奏会の感想などをたびたび文にして発表しています。自分が叶えかなえられなかった超一流のピアニストの夢を、クララの成長と活躍の様子に見ていたのかもしれません。
ある時、今度はシューマンが風邪で寝込んでしまって、しばらくクララと会えなくなりました。シューマンはクララに手紙で一つのお願いをしました。
「会えない代わりに11時の鐘が鳴ると同時に、ショパンの変奏曲の中の
アダジオ(ゆっくりな曲)をお互いの事を想いながら弾きませんか?
我々の分身が出会う場所は、きっと(二人が住んでいる場所の間にある)トーマス教会の小門のあたりでしょう。
もし満月が現れたら、我々の望みがかなったと認めることにしましょう」
シューマンに会えなくて寂しい思いをしていたクララもすぐ返事を書きます。
「お願いは承知しました。
明日の11時には私もトーマス教会の小門の前に参ります」
今や、音楽に関して二人は同じレベルで語り合える同志であり、8歳という年の差は感じられなくなっていました。
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