やさしく読める作曲家の物語 シューマンとブラームス 4
第一楽章 シューマンの物語
3、ライプチヒの孤独
こうして、若きロベルト・シューマンがやってきたライプチヒは当時から商業の盛んな大都市で、当時の人口は4万人。
あのヨハン・セバスチャン・バッハが20年以上にわたって音楽監督を務めた聖トーマス教会があり、世界で一番古いオーケストラであるゲヴァントハウス・オーケストラも生まれた、音楽も盛んな華やかな大都会です。
「おーい、ロベルト。こっちだ」
3月23日月曜日。
小さくて静かなツヴィッカウから、にぎやかなライプチヒにやってきたシューマンを迎えてくれたのはギムナジウム時代の親友エミール・フレクシヒです。
彼は、もうライプチヒ大学に通っていたので、シューマンは彼を頼りにし、あらかじめ手紙を送っておいたのです。
「ずいぶん気弱な手紙が来たから心配したが、元気そうじゃないか。」
と、からかうようにエミールが声をかけますが、ロベルトは浮かない顔です。
「そうでもないさ。君とまたこうして会えるのは嬉しいが、ライプチヒは緑も少ないし、なんだかギスギスした街で落ち着かないな」
「そりゃ、ここはツヴィッカウのような田舎じゃないからな。その代り音楽会はたくさんあるし、活気があって楽しいぞ」
「でも、ぼくは音楽を勉強しに来たわけじゃないし」
「まあ、そう言うな。せっかくライプチヒに来たのだから思う存分楽しめば良いさ。まずは町を案内するよ」
「ありがとう。助かるよ」
友達のやさしい心遣いに、シューマンはやっと少し笑顔を見せました。
ライプチヒ大学には、シューマン家の長男エドヴァルトのお嫁さん・テレーズの弟・ゼンメルも通っていました。二人を頼りに、シューマンは大学入学の手続きを無事済ませ、街も案内してもらうことができました。
そして、3月31日夜。
初めにお話ししたように、先にライプチヒに引っ越していたカールス博士の音楽会に招かれて、シューマンはヴィーク先生とクララに運命の出会いをすることになるのです。
とは言え、年の離れた二人は、それが大きく人生を揺るがす出会いである事にはまだ気付いていません。
カールス博士の音楽会で音楽の盛んなライプチヒの様子に触れ、またヴィーク先生からピアノのレッスンを受けられそうだということになって、少しライプチヒの暮らしに希望が持てるようになったシューマンに、ゼンメルが同じライプチヒ大学に通うギスベルト・ローゼンという新しい友達を紹介してくれました。
ローゼンは法学科の学生ですが、話しているうちにシューマンと同じようにあのジャン・パウロの熱烈なファンだという事がわかりました。
すっかり意気投合した二人ですが、ローゼンはハイデルベルク大学に転校することが決まっていて、もうすぐライプチヒを出て行かなければなりません。
「せっかく良い友達になれそうなのに、残念だな。
ハイデルベルク大学にはライプチヒ大学より良い先生がそろっているし、学校の雰囲気や町も素晴らしい。君も来ると良いよ」
と、ローゼンはすすめます。
「そうだな、来年ハイデルベルクに行くのも良いなあ。でも、まずはライプチヒで勉強しなくては。どちらにしても大学が始まるまでまだ1か月半もある。ぼくは兄の結婚式があるので、一度故郷のツヴィッカウに帰るんだけど、君も一緒に来ないかい?それで、その後ジャン・パウロが活躍したバイロイトあたりへ旅をするのはどうだい?」
と、シューマンが誘うと
「素晴らしい!君と一緒なら楽しい旅になりそうだ」
ローゼンも大喜びです。
こうして二人は、まずツヴィッカウに立ち寄り、その後ドイツ各地を旅して回りました。バイロイトではジャン・パウロのお墓や仕事場を訪ね、ミュンヘンでは詩人のハイネにも会いました。
ニュウルンベルクやアウクスブルクにも立ち寄って楽しい旅を続けた二人ですが、新学期が近づいた5月半ばには、ハイデルベルグ大学に転校したローゼンと別れ、シューマンは一人でライプチヒに戻ってきました。
いよいよ、大学生としての生活が始めることになったのです。
しかし、法律の勉強は彼にとって全く興味の持てないつまらない勉強でしかありません。しかも、自然が少なく、人々が騒々しく行き交う大都会・ライプチヒの暮らしに、どうしても慣れることができません。ライプチヒの学生たちは血の気が多く、酒場で大騒ぎをして、けんかになればすぐ決闘を騒ぎになります。静かなことが好きなシューマンには、とても耐えられず、親しい友はフレクシヒとゼンメルだけです。
それでも、お母さんには心配をかけないように「毎日きちんと授業に出席して、規則正しく暮らしている」と手紙を書きましたが、実際は大学にも余り行かず、大好きなジャン・パウロのまねをした文章を書いたり、ピアノを弾いたりして過ごしているのでした。
気の晴れない日々を過ごしていたシューマンですが、8月になると念願かなってようやくヴィーク先生のレッスンを受けられるようになりました。
シューマンにとって初めて受ける「専門的な」レッスンです。
期待に胸を膨らませて、ヴィーク家の門を叩いたシューマンですが、
「君のピアノはまるで狂った犬がつかみかかっているようだ」
長い間、自己流で練習してきたシューマンのピアノを聞いたヴィーク先生にはため息をつかれてしまいます。
それでも、先生はシューマンの特別な才能を見抜いて、基本から根気よく教えて下さいました。シューマンも先生の厳しいレッスンや、気難しさに戸惑うこともありましたが、心から先生を尊敬して熱心にレッスンを受けたので、短い間にめきめきと腕を上げてゆきました。
そして、ヴィーク家に出入りしている間に、あの天才少女・クララはともまるで仲良しの兄と妹のように、すっかり親しくなっていました。
一方で、夜はたびたびカールス博士の家に出かけます。
あこがれのアグネス夫人の歌を聞いたり、ピアノを弾いて聞かせたり、ライプチヒでも博士の家に集まる音楽好きの人たちと話したりしているひとときが、シューマンにとっては一番楽しく心安らぐ時間だったのです。この頃シューマンは、アグネス夫人のためには歌曲を、そしてヴィーク先生やカールス博士たちと合奏するためにはピアノ四重奏曲などの室内楽曲を作曲しています。
こうして、ライプチヒの街にも冬が近づいた11月19日。
シューマンが尊敬し、あこがれていたあのシューベルトが亡くなったというニュースが流れてきました。シューマンのショックは大きなもので、彼の部屋からは一晩中すすり泣く声が聞こえていたと言います。
法律を学びに来たはずのライプチヒでしたが、結局シューマンが勉強しているのは音楽ばかり。やがて、ヴィーク先生がクララを連れて演奏旅行にでかけてしまうと、なおさらライプチヒはシューマンにとって何の意味も無い場所になってしまいました。気持ちがどんどん落ち込み、これではいけないと感じたシューマンは、
「ライプチヒより落ち着いて勉強に集中できるハイデルベルク大学で、有名な法律家ティボー教授の講義を受けたい」
と、お母さんを説得して、一年間ハイデルベルクに転校することにしました。もちろん、親友ローゼンが居ることも、ハイデルベルクに行く大きな理由の一つでした。
そこに新しい夢や希望がある事を信じて、シューマンは5月になるとハイデルベルクへ旅立ったのです。
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