やさしく読める作曲家の物語 シューマンとブラームス 16
第一楽章 シューマンの物語
15 . 運命の年 歌曲の年
こうして、二人が運命の日と決めていた1840年が明けました。
「とうとうこの年がやって来たのです。長く待ち望んでいた年で、私たちが永遠に結ばれる年です。今日は一日中あなたのことしか考えませんでした」
1月1日、クララはベルリンからシューマンへの手紙にそう書きました。
「私はきっと良い奥さんになるわ。だからどうか結婚のお許しが出ますように」と、クララもシューマンも祈るような気持ちで判決の日を待っていました。
そして、1月4日、ついに判決が下り、二人の結婚を許さないというヴィーク先生の訴えは認められませんでした。
しかし、めでたくゴールイン!とはいきません。二人が結婚するには条件が付いていて、シューマンが「大酒飲みではない事」を証明しなければならないというのです。
またもや、結婚を延ばすことになって落ち込むシューマンでしたが
「確かに、ロベルトは酒好きだけど結婚できないほどの大酒飲みではないだろう。ぼくたちがいつでも証人になるから心配するな」
「そうだよ。そんな事を言われたらぼくたちは全員結婚できない」
メンデルスゾーンをはじめとするシューマンの友達が応援してくれたことは、シューマンに希望と勇気を与えてくれました。
自分がクララの夫にふさわしい人間であることを証明するために、シューマンは、イエナ大学の教授にお願いして「哲学博士」の称号も頂きました。
何より、たとえ離ればなれで居ても、クララがもう完全に自分の味方であり、いっしょに闘ってくれているということが、シューマンの心を支えてくれているのでした。
そして、二月のある日。
ベルリンに居るクララのもとにシューマンから楽譜が送られてきました。楽譜にはこんな手紙が添えられています。
「この曲は君の事を想って書きました。君のような素敵なフィアンセがいなかったらこのような曲は書けなかったでしょう」
その楽譜は、今までのようなピアノ曲ではなく「歌曲」でした。
それもとびきり素敵な曲ばかりです。
「あの人にはこんな才能もあったのね」
クララもびっくりです。
恋は人を詩人にすると言いますが、シューマンもクララの事を想うと、立っていても歩いていても心の中から素晴らしい音楽が湧き出し、ハイネやゲーテやバイロンと言った詩人たちの詩をあっという間に美しいメロディに飾られた「歌曲」に仕立ててしまうのです。
「歌を作るということは何と素晴らしいことなんだろう」
この幸せな1840年、シューマンは何と180曲余りの歌曲を作曲し、「歌曲の年」と呼ばれるようになりました。
中でも有名な歌曲集「女の愛と生涯」(作品42)は8曲の歌曲で、初めて恋を知った少女が恋を実らせて結婚し、幸せな母となり、やがて夫と死別する女性の「愛と生涯」を表し、一方「詩人の恋」(作品48)にはハイネの詩による16曲の恋をする男性の歌が収められています。
そこには、クララとシューマンの愛や人生が見え隠れしているようです。
また、合唱で有名な「流浪の民」もこの頃の作品です。
その他にもシューマンの心を慰める嬉しい出来事がありました。
ひとつは、前の年の暮れに、シューマンがシューベルトのお兄さんから借りた、あのシューベルトの大交響曲がメンデルスゾーンの指揮でついに演奏されたこと。
そしてもう一つは、ライプチヒにやってきたリストと親しくなった事です。
内気でおとなしいシューマンと、派手でわがままなリストは性格も音楽も正反対です。それでもリストは
「君とはもう20年も前からの知り合いのような気がするよ」
と、言ってくれて、メンデルスゾーンや、同年代の作曲家であるフェルディナンド・ヒラーと共にお互いの曲を演奏したり、音楽について語りあったりと素晴らしい時を過ごしました。
リストがライプチヒを離れる事になると、そのお別れの演奏会に招かれたクララも演奏旅行を終えて、ライプチヒへ帰ってきました。
こうして、ライプチヒでようやく一緒の過ごせるようになったシューマンとクララは、結婚の許しを待つ間、ゆっくり語り合ったり、お散歩したりとようやく普通の恋人達と同じように穏やかな日々を送っていました。
「花嫁花婿の音楽会」と称して、二人でお互いの曲を弾きあうのも幸せな時間でした。
長く辛い離れ離れの日々の後、それは本当に夢のような日々だったにちがいありません。
そして、8月。
二人の言い分は完全に認められて、裁判所から正式に結婚のお許しがでました。その日は二人にとって一番幸せな日、闘いの終わった日でありました。
シューマンはライプチヒのインゼル通りに、小さいけれど居心地の良い二人の愛の巣をみつけ、引っ越します。
こうして、クララの25歳のお誕生日の前の日、1840年9月12日に結婚式を挙げることがようやく決まったのです。
シューマンは結婚の前に、クララに贈り物をしました。
ひとつは、グランドピアノ。それは花で飾られ中には愛の詩が添えられていました。
そして、結婚式の前の日にはもっと素晴らしい贈り物が届きました。
それは「我が愛する花嫁に」という言葉か添えられ、昔から花嫁のヴェールに添えられることで有名な、ミルテの葉っぱで飾られた歌曲集の楽譜でした。
後に「ミルテの花」(作品25)という題名で出版されることになるこの歌曲集には素晴らしい愛の歌が沢山集められています。
「君こそわが魂、わが心、わが楽しみ、わが苦しみ・・・」
リュッケルトの詩をもとにした第一曲目「献呈」には、深く強いクララへの愛が歌われています。何と素敵な結婚のお祝いでしょう。
「私ほど幸せな花嫁はいないわ」
クララは心からそう思うのでした。
そして、待ちに待った結婚式の日がやってきました。
隠れていた太陽も顔を出して祝福してくれるなか、ライプチヒから少し離れたシェーネフェルトにある木立に囲まれた静かな教会へ二人は向かいました。
「待っていたよ。ロベルト、クララさん」
シューマンの古い友達であるウィルデンハーン牧師が二人を祝福し、ささやかな、けれど心のこもった結婚式がとりおこなわれました。
出席したのはクララの母、・バルギール夫人と、友人のベッカーだけです。「クララ、本当におめでとう。ロベルトさん、クララをお願いしますね」
バルギール夫人も感激で胸がいっぱいです。
「ありがとう。お母さま」
二人のキューピットをつとめた友人のベッカーは、わざわざ遠くの街から駆けつけてくれました。
「ベッカー、ぼくたちが今日こうして結ばれたのは、もとはと言えば君が二人の間を取り持ってくれたからだ。心から感謝するよ」
「何を言うんだ。二人が結ばれることは初めから決まっていたのさ。今日は自分のことのように嬉しいよ」
二人の苦労を全部知っているベッカーもまた感激ひとしおでした。
晴れて夫婦となった二人がライプチヒに戻ると、友達が集まってお祝いのパーティを開いてくれました。「おめでとう」の言葉に包まれて、二人はこの上も無く幸せな一日を過ごしました。
しかし、当然のことながらヴィーク先生は姿を見せません。一番花嫁姿を見てもらいたかったお父さんの事を想うと、心が暗くなるクララでしたが
「明日から私の新しい人生が始まるのだわ。美しい人生・・・。
どんなものより、自分より、ロベルトが私の人生のすべて。良い奥さんになれるように努力しなければ」
そう思うのでした。
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