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(音楽話)129: スピッツ “俺のすべて” (1995)

彼がタンバリンを手にしたら


ヒト: スピッツ

1987年に結成してかれこれ40年近く。美大生の草野(Vo, G)と田村(B)が組んだバンドは、紆余曲折を経て服飾系学生の三輪(G)と崎山(Dr)が加わり、かなりパンキッシュな音を鳴らしていたというのは有名な話。しかも当時はThe Blue Heartsを意識していた…意外ですよね。しかし草野自身がキャラに合わないと感じ、徐々にアコースティックな方向へ。
91年にシングル"ヒバリのこころ"とアルバム「スピッツ」でメジャーデビュー。音楽批評界隈ではウケたものの当時はあまり売れませんでした。彼らが売れるのは93年の7枚目シングル"君が思い出になる前に"まで待つことになりますが、続く"空も飛べるはず"もヒットして認知度とファンがアップ。そして95年、"ロビンソン"(YouTube累計再生回数1.2億回…バケモノ・シングル)と"涙がキラリ☆"で決定的な人気を得るに至ります。以降数々のヒット曲をリリースし、精力的にライヴ活動も行っている彼ら。今も不動の人気なのは、皆さんもよくご存知と思います。

前述の通りパンクが立脚点ですが、ポップ、ロック、シューゲイザー、フォークなど、その時代・時代で彼らは音楽性を自在に変化させてきました。しかも根底にあるメロディの美しさや草野の心地良い声質、温かくも意外と骨太、でもクセの強い歌詞など、彼ららしさは失わずに…飽きられやすい現代、これは奇跡に近いと思います。要は、彼らは名実共にとても力強く、とても貴重なバンドです。カッコいい。

曲: "俺のすべて"

今回の映像は、1995年リリースの大ヒットシングル"ロビンソン"のカップリングである"俺のすべて"ライヴ映像。ファンの間では非常に人気の高い曲で、後にアルバム未収録曲を集めた「花鳥風月」へ収められることになります。この映像は公式動画ではない(すみません)&いつのライヴかわかりませんが、楽曲リリースよりも後、00年代のライヴだと思われます。

アルバム「花鳥風月」(1999年リリース)。ベスト・アルバムではありませんが、
非常にスピッツらしい良曲だらけの1枚。オススメです。

ファンの間ではよく知られていますが、ライヴで草野がタンバリンを手にした時、それはこの曲を演るサインです。会場は一気に盛り上がって客席は飛び跳ね乱舞、会場全体が揺れ、なんならスタッフまで跳ねまくる始末。この映像でも白いタンバリンを手に「燃えるようなアバンチュール 薄い胸を焦がす これが俺のすべて」と歌いつつシャカシャカいわせ、途中からハンドマイクになって歌に熱の入る草野。三輪の押し引きが心地良いカッティングとサビのヘビーなフレーズ、崎山がしっかりリズムを下支えする展開の中、た、田村…暴れまくっています。間奏では思いっきりエフェクターをかけてベースソロとは思えないベースソロを弾き、曲後半はもうベース弾いてません笑 PAに登って嬉しそうにプレイ→ジャンプして飛び降り。しまいにはベース弦切ってます…ベースの弦ってそう簡単に切れないんですが、田村はほぼ毎回ライヴでベース弦切ってるのはもはやお家芸。 そうです、彼らの出自=パンク魂がライヴではガンガン、ダダ漏れになるのです。特にこの曲では。

「僕」ではない「俺」

いくつかの音楽評論で言われてきたことですが、草野が書く歌詞は基本的に一人称が「僕」。一方、インタビュー記事などで見かける彼の話し言葉は「俺」。歌詞の中では丁寧、話すとカジュアルというギャップがあります。

もともと、草野の書く詞は意味がすんなり頭に入ってこない暗喩な表現が多く、言葉を選ばずに言うと、「僕」のせいで内向的な曲に聴こえることがあります。…えーと、これはネガティヴな意味で言及してるわけではありませんので、どうか誤解なく。草野は日本ではほとんど見当たらない、深層心理に響く言葉を紡ぐことができる人、私たちの『言葉が見つからない気持ち』に名をつけてくれる人だと思ってます。すごく好きな言葉を生む人です。

は君の身体じゅうに 泥をぬりたくった
Oh 君のおっぱいは 世界一

"おっぱい"(1990)

黒いヘドロの 団子の上に棲む
笑い話じゃないね 笑い話じゃないね
このままは 喋りつづけてる

"鳥になって"(1991)

平易な言葉が多いですが、よく見るといろんな感情が混じった、複雑かつストイックな世界観が浮かび上がります。その主人公に「俺」ではなく「僕」を名乗らせることで、草野は曲の主人公と自身の間に距離を置こうとしているのかもしれません。
この考え方をふまえると、彼が「俺」と歌う時は注意が必要になります。なぜならその曲は彼の本心、彼自身の気持ちにより近いところで吐かれる言葉かもしれないからです。「俺」と自称する草野が楽曲でも「俺」と言うのは、事件なのです。

同じ涙がキラリ が天使だったなら
星を待っている二人 せつなさにキュッとなる

"涙がキラリ☆"(1995)

半端な言葉でも 暗いまなざしでも
何だってにくれ!

"さらばユニヴァース"(2000)

嗤ってくれ 時代遅れ も独りさ
やめないで習いに逆らった この日のため

"ヘビーメロウ"(2017)

(そういえば、草野は一人称の呼称を歌詞に登場させない曲も多く作詞しています。「僕」も「俺」もないけど、主人公の視点や想いを伝えることは可能ってことですが、これってもしかして、一人称に印象が引っ張られることを草野が嫌った結果なのかな、なんて思ったりもします)

そんな大袈裟な、と思う方へ。
人称代名詞の表現が豊かな日本語は、その使い分けだけで意味合いが幅広く変化します。私、僕、俺、あたし、ワシ、ワイ、あっし、あちき、自分、うち、オイラ、あたしゃ…キリがありません。そして全部一人称を表しているのに、そのニュアンスはそれぞれ微妙に異なります。
「僕は君が忘れられない」と「俺は君が忘れられない」では、主人公のキャラクター設定が違う気がします。前者は真面目、内気、切なさなど、後者は強がり、緊張、熱などが感じられる…ように思えませんか?微妙な味の違いだけど、その違いが結果的に、言葉を受け止める聴き手が感じる印象を変えるのではないでしょうか?

"俺のすべて"がもし"僕のすべて"だったら…印象が全然違うはず。楽曲の構成や音色、楽器、テンポ、歌い方、全部違うかもしれない。ましてや、「あたしは」だったら?「オイラ」だったら?…これ、すごくないですか?

繊細だから

細かすぎる?はい、自覚ありますよ笑 でもこれ、日本語ならでは。例えば英語だったら、一人称は「 I 」1種類で片付いてしまう。
日本語を少しだけ齧ったことのある外国人の仕事仲間に、こう言われたことがありますー「日本語って一人称が一体いくつあるのよ?…多過ぎるって。私の国では考えられないわ。でもそれを日本人はそのときどきで使い分けてるんでしょ?すごい繊細よねぇ」。

繊細。気持ちのわずかな変化に応じて一人称が変わるのって、とても美しいことな気がします。繊細だから、言葉は豊かになるのです。

言語は時代の空気を吸い、他言語の影響を取り入れつつ、その形を変化させてきました。流行語は瞬間的に一部から毛嫌いされたり風紀の乱れと非難されもしますが、やがて一部は一般化し定着していく。言語は人間から生み出された無形な存在でルール無用。頭でっかちに型を求める方がおかしい。「型がなければ教育は成立しない」のであれば、そんな教育はそもそも今を見て教育していない。分け隔てなく見聞しなければ、型に囚われて発想が硬直化していくだけです。
もっと繊細に、豊かに。

今日のあなたの気分を表す一人称は、どれですか?

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