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だから僕は教職を辞めた

酷く落ち込むかと思った。
悶えるほど傷つくかと思った。
予想に反して、教授からメールの返信が来たときの心境は異常に澄み渡ってしまっていた。笑ってしまうくらい気持の良い朝で、奇遇にも空は晴れ渡っていた。

まるで人間じゃなくなったみたいだった。

時は4ヶ月前まで遡る。
教育実習2週間目、ブシューという音を立ててスプレータイプの殺虫剤が私の顔に吹き掛けられた。まさか本当にボタンを押してくるとは思わなかったが、予測をしていなかったわけではない。私は首をひねり飛沫の大半を避ける。
殺虫剤を持っていたのは生徒だった。高校生である。様々な事情を抱えた生徒だが、だからといって人に殺虫剤を掛けることは教員としては見逃せるものではない。しかし、不思議と私の心は不可解な感情を抱いていた。
別に私は顔に殺虫剤を掛けてくれだなんて頼んだ覚えはない。また、学習に取り組まない生徒を怒鳴ったりもしていない。それは授業ではなくマンツーマンの学習指導の時間だった。話を聞いて、取り組めない原因を探り、精神的に傷付いているならケアできないかと思って対話を続けていた最中起こった出来事である。
私は一貫して当該生徒のどんな悪態や暴言にも特別な反応を示すことはしなかった。感情が乱れてしまえばあちらのペースに乗ることになるということが分かっていたし、こちらの感情が乱れるのを見てやろうという意図が伝わってきたからだ。そのような挑発に乗る理由が見当たらなかったので、飽くまでも冷静に務めた。
殺虫剤の発射口を向けられた際にも「こちらの動揺した顔が見たいが故のハッタリだ」と考え、私は缶越しに生徒を見つめていた。
ハッタリだと思っていたから、ボタンを押されて顔に殺虫剤が掛かった際には流石に驚いた(反射的に避けたが)。見ていた他の生徒は当該生徒に「それはダメでしょ」と詰め寄ったのだが、私はその様子を見ながら、ふと思った。

「羨ましい。」

嫉妬である。そういった試し行動は相手を信用しているからこそ出るものだ。
一方、私が教員に対して取ってきた行動の多くは服従であった。というか、絶対服従を強いるような教員と多くの時間を過ごした。
相手の意見を全て飲み、調子を合わせ、求められる、あるいは期待される人間を演じることをしてきた自覚がある。ただ、それは相手を信用していないからこその行動だ。
その生徒は私の真逆と言える。
嫉妬の感情を覚えた自分自身を客観視して浮き出てきたのは、生徒に興味がない私だった。
生徒の生活や将来に関心があれば、そのような行動を二度としないように働きかけなければならないのだろうが、当時の私は嫉妬の感情を覚えながらただ見ていた。
我に返ってから「どうすんの?これ」と如何にも教員らしく問い詰めてみたが、心ここに在らずも良いところだ。生徒を問い詰めながら心の中では嫉妬を覚えた自分を見つめていた。

ただ、そもそも生徒に興味がないなんてことは今に始まったことではない。
正直なことを話すと、教育実習前には民間企業から内定が出ていた。そして、その民間企業はプライベートの時間を大切にできることを基準に選んだ就職先だ。
何故プライベートの時間を大切にしたかったか。創作だ。創作なのだ。創作をするための時間を体力を温存することを条件に就職先を探した。
仕事よりも優先度の高い創作をただ実習先で知り合っただけに過ぎない一介の生徒が越えられるはずもなければ、教育という分野ですら創作の種にしかならない。
私は、4年生で教員免許を取る最後の関門まで残り2週間というところでその壁に当たった。

生徒に限らず、創作の役に立たない(つまらない)人間に興味がない私。
それを建前で覆い隠し続けていた私。
嘘の限界は構造的な欠陥(あるいは私のような人間を炙り出す篩)によって訪れた。

教育実習報告会(読み方:ちゃばん)という催し物がある。
どんな取り組みか一言で説明すると、教授の好みに合わせて教育実習を振り返るためのスライドを作り発表するというものだ。
しかし、これがなかなか曲者で、まず助教から2回の事前指導、教授から2回の合格を貰わなければ発表することができない。
また、内容も単に実習を振り返るものではなく、これまでの人生や社会的な立場を踏まえて発表者という人間を繰り返し深掘りする必要があるのだとか。

顔に殺虫剤を掛けられたり、3日間23時間勤務したりと散々な教育実習だったが、学んだことも多かった。
特に人間関係における相互性という観点においては自分自身を省みる良いきっかけになった。その経験は確実に私の創作の質を上げた。

それだけだ。
教育実習は私の創作の糧になった。
それだけが私の本音だ。

教授が私に対する深掘りを続ければ、どれだけ建前を並べたところで生徒に無関心で、教育に対して冷笑的な私に辿り着く。それは要するにツミだ。
教育実習中は建前を並べて乗り切れたが、実際その建前の後ろには無関心と冷笑しかない。

元はと言えば、教職課程を履修したのは中学時代に部活動でパワハラじみた指導を行っていた教員に正当性があるのか判断できる知識が欲しいと思ったからだ。
それでも、教員という道は真剣に考えた。自主的に単位とは関係ない実習にも足を運んだ。
ただ、現場の教員に「この子達のことを可愛いと思えたなら教員としての素質はバッチリ」と言われたときに、「ああ、教員になるような人は生徒を可愛いと思えるんだ」と落胆して以来、惰性で教職課程を履修していた。

創作のための時間を十分に取れなければ、大して創作の役に立つわけでもない教師という仕事をやりたいと思えるほど愛情深い人間ではなかったのだ。
さしづめ創作モンスターである。


結局、私は教職課程の履修を辞めた。
教職課程での学びを自分に適用すればするほど、創作をする自分でいることと教育者としての建前が相反する。
ある点では教育と芸術の社会的な役割は重なるのかもしれないと考え、調査と考察を繰り返して「だから私は教職課程や教育実習での学びを芸術という分野に活かす」という主張も試みたが、そんなものが通るはずもなかった。
教職課程の履修を断念するという旨のメールに対する教授からの返信は想像よりもあっさりしていて、「合わないのだと思います。社会人になっても元気で」と締め括られていた。

これでクリエイターとして売れていたら格好良いのだが、鳴かず飛ばずなのが恥ずかしい。まるで創作を言い訳に教育から逃げたみたいじゃないか。引き続き研ぎ澄ませるほかないだろう。
最後までこんなことばかり考えている私には教員としての芽すら生えなかったということなのだろうか。残念ながら、それを誇らしいとすら感じているのだから厄介だ。
モンスターである自分を受け入れていくしかあるまい。

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