第325回/断捨離といえば格好いいが、リスニングルームの整理をもくろんだ3月[田中伊佐資]
●3月×日/ここ数年、中古レコードショップを巡るYouTube「パタパタ漫遊録」をやっているのだが、店主にこの稼業を始めたきっかけをついつい自然に訊いてしまう。
自分だって運命的な弾みでその道を歩んでいたかもしれないと思うとたいそう興味深い。
そうすると「レコードを買いすぎて家に置ききれなくなって。まあ断捨離ですね」といった返事をもらうことが少なくない。
で、どうでしたかとその結果を訊く。なぜかうれしくなるのだが、断捨離はことごとく全員が失敗している。例外なくむしろ以前より増えて状況は悪化している。
店舗で保管できるスペースが確保されたうえに「内容がイマイチでも売ればいいんだ」とつい買ってしまうのだ。
そういったコレクターたちに比べれば、ひよっこクラスの僕でも部屋に物が増えてきたのを自覚し、整理を行うことにした。ここで断捨離と書けば、おおズバッといくのかと文章に迫力が出ることは承知しているが、安易に使うべき言葉ではないことを敗北者から学んでいる。
その気運が一挙に高まったのは、別のYouTube「やっぱオーディオ無茶おもろい」、ステレオ誌の「音楽人巡礼」、住宅メーカーのオウンドメディア「LIFE LABEL Magazine」の自宅取材3連発があって「こんな散らかった部屋をさらすのは、もうーみっともなーい」と自分にムカついたことが大きかった。
部屋を片付けて処分するものは処分するが、どうしても捨てがたいものは、屋根裏のデッドスペースに作った物置に収納する。そこは自分以外の家族は誰も入らないゴミ部屋だった。だがその魔窟をなんとかきれいにしない限り、リスニングルーム美化への道はなかった。
まず魔窟で行ったのは、たまった段ボール箱の一掃だ。いまごろ気づいたのだが、僕は箱コレクターのケがあり、オーディオの元箱はもちろん(これは別の部屋に保管してある)、何かあったとき用と心のなかで称している類がけっこう出てくる。
何かあったとき用がもし必要なら、何かあったときに考えればいいのだが、箱は何個かキープしておかないとなんだか落ち着かない。
まさに段ボール箱こそ断捨離すべきだった。いや、たまった空のペットボトルを断捨離するとは言わないから、段ボール箱をそう呼ぶに値するほどのものかは疑問ではあるが。
あとこれはカサが張らないが、カートリッジやヘッドシェルを送るのにちょうどいいような小箱も、あちこちから集めてみるとそこそこあった。貧乏性としかいいようがない。
次にその物置で眠っているレコードとCDを出す。ここはリスニングルームにあるものを1軍とするなら、2軍待遇である。
作品として劣るのではなく、ただ単に気分的なトレンドから外れて聴いていないもので、可哀相なことにジャンル別、あるいはレーベル別とかできちんと並んでいない。なにか聴きたい盤を探すときは、自分の記憶を頼りにするしかない。
目当ての盤が見つかると妙にうれしいのはいいのだが、見つからないと紛失したように気持ちになり不愉快だ。この状況にもムカついているのも部屋の片付けの大きなモチベーションになっている。
部屋から部屋への近距離でありながら、レコードの運搬がなかなか骨が折れる重労働だ。僕なんか枚数はそれほど持っていないのに途中でほとほといやになった。歳を食って腕力の低下もあるだろう。
壁が見えないほどレコードを収容しているコレクターが引っ越すとなるととんでもないなと思った。一人でやろうとしてはいけないことだ。
そうこうしているうちに、あまり考えたくなかったが、つい考えてしまったのが、リスニングルームにある一軍CDの整理だ。ここ数年はレコードを聴くのが完全にメインで、聴くCDといったらCDでしか手に入らないものに限られる。となるとある程度選抜したものを手元に残しておけばいいのではないか。
しかしまあそれを本気で始めてしまうともはや、部屋美化&物置整理はおそらく腰砕けになる。雑誌や書籍の整理と同じで、これはどんなだっけ、あれはどうだったかなあと聴き始めてしまったらもうおしまいだ。
そこでいいことを思いついた。この春に独立して家を出て行った娘の部屋へ全部まとめて仮り置きすればいい。そこでじっくりふるいに掛けていく。
最大の難関は本人の承諾だが、しばらく帰ってくるつもりはないようで、
意外や意外、簡単にオーケーが出た。
CDラックを移動させることで良かったことのひとつは、リスニングルームがライヴになって音が良好になったこと。
CDのプラケースは音を反射していると思っていたが、そうでもなかった。というか音を濁らせていたと言ったほうが近い。
2つ目は小分けにして運んでいる途中で、ずっと探していたCDが見つかった。1枚がファブリツィオ・ボッソ、ジェラルディン・ローラン、アンリ・テキシェ、アルド・ロマーノが組んだバンドDesirelessによる『Complete Communion』。
もう1枚がルイ・スクラヴィス、クレイグ・テイボーン、トム・レイニーの『Eldorado Trio』。
これらは古式ゆかしいモダンジャズではなく、わりと歯ごたえのあるフリー系ジャズ。10年くらい前のある時期、盛んに聴いていたがどういうわけか消息不明だった。久しぶりに聴いてみたら、やっぱりエネルギーがすごい。
こういった旧交を温めることでちょいちょい作業が滞ったりもしたが、娘の部屋への全CD移動は完了した。
ここでふと凶悪な邪念が湧き出てきた。せっかく娘の部屋にまだスペースがあることだし、もうちょい荷物を置かせてもらおうか。
そんなことで、暫定的という大義名分のもと、現在、娘の部屋はあっという間に魔窟化したのだった。もちろん本人は知らないし、さすがにその写真を載せるわけにはいきません。もちろん物置はほとんどそのまんまです。
(2022年4月20日更新) 第324回に戻る
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東京都生まれ。音楽雑誌の編集者を経てフリーライターに。近著は『大判 音の見える部屋 私のオーディオ人生譚』(音楽之友社)。ほか『ヴィニジャン レコード・オーディオの私的な壺』『ジャズと喫茶とオーディオ』『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(同)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)『オーディオ風土記』(同)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。 Twitter
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