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第330回/なんでレコードを聴くのかという疑問に、それらしき答えがいっそう明確に見えてきた5月[田中伊佐資]

●5月×日/「音の見える部屋」で写真家の平間至さんの自宅を訪問した。どこのお宅でも取材でおうかがいしたとき、一番良いリスニングポジションで音楽を聴かせてもらうことがほとんどだ。そこはいつも主が座っているわけで、その状態はなんとなく照れくさかったりするのだが、平間さんの場合、じゃあまあ適当にそのへんでという具合にスピーカー(B&W805D3)の前であぐらを組んで話をうかがうことになった。そもそも最適と思われる位置に椅子自体がない。ソファーは横向きになっていた。
 レコードもちょいちょいかかるのでそんなゴロンとした状態で音楽を聴いていると、急に懐かしさをおぼえた。これは中学のときに「ピンク・フロイドの新しいやつ、あいつ買ったらしいぞ」とか言って、その友達の家へ押しかけて、みんな黙ってしみじみと聴く感じを思い出した。学生時代には新譜の両面を丸々聴くなんてことは、夢みたいなことだったから、みんな真剣だった。

平間さんのオーディオシステム。
ヤマハのGT-2000L、サンバレーの真空管アンプ、B&Wの805D3などを使用。
電源やケーブル、インシュレーターなどで音のチューニングを日々行っている。
写真:高橋慎一

それはともかく平間さんはこんなことを言っていた。
「ここ2年間くらい、歩いて40分くらいのところにあるレコード屋さんへ行って店主とゆっくり話をして選んで、それを同じように歩いて持ち帰って、針を落としているんだけど、それ全部をひっくるめて音楽を聴く体験行為のような気がするんです。サブスクのように聴きたい放題ではなく、そのものに対価をはらうことも大事で、そういう体験ができるほど音楽の聴き方が深くなんですよ」
 だからといってサブスクでは音楽のありがたみがわからないとか若者はかしからんとか言っているのではなくて、自分はこうなんだという話だった。
 僕はサブスクは巨大ジュークボックスとして仕事で活用はするけれど、それを長時間聴く気にならない。そういうことに同調する同世代のレコードやオーディオ好きと話をすると「やっぱりモノがないとダメな世代なんですよね」みたいな言い方が往々に出てくる。
 それについてふんわりと同意はするけど、個人的には心からしっくり来てはいない。僕はコレクターではないし、どちらかといえば部屋はすっきりしていたい。あんだけ散らかっていてよく言うよと指摘されそうだが、それは個人の整理能力に関わる問題なので、それはひとまず横へ置いておきたい。
 ではなぜレコードというものを買いたい、所有したい、音楽をかけたいのか。真剣に考えるまではいかないにしろ、上滑りのままモワッと意識のなかにあって、まあ、正しいかどうかわからんけど、たぶんそうじゃないかと思うところへいまのところ行き着いてはいる。
 レコードと個別に接するに当たって、強く意識はしていないけど、これはあそこで買ったやつだとか、高かったとか安かったとか、これは再発だから初期プレスが欲しいとか、音はどうとか、誰それがカッティングしたやつだとか、それをブツブツと口にしていたらなかなかの変わり者だが、ともあれ心のなかで喋っていて、あるいはレコードに語りかけていて、そのことが聴いている音楽を受ける際の感情移入を強くしている。
 そんなことは音楽そのものとはまったく関係ないかのように見えて、たとえば家で聴いても懐かしいなあくらいでしかない80年代のサザンオールスターズが、海辺でドライブしながら聴くと胸のど真ん中を射貫かれるように(あくまでも個人の感想です)、音楽を受け取る心境は金襴緞子のようにカラフルなわけで、そんな僕個人の土台の上の音楽がのっかって、心は複雑にバイブしているんだと思う。
 そうするとCDだって同じ物体なのに、なんでレコードなのか。「そりゃ、ジャケットは大きいほうがいいです」といったありきたりな模範解答にイマイチ同意できなかった自分を納得させることができる。大きいのがよいのならLPサイズジャケットCDがスタンダードになっていいはずだが、市場を賑わしているとは思えない。やっぱりツルンとしたCDよりレコードのほうが1枚1枚固有の個体差や歴史があり、そこに対する思い入れがもっともっと濃厚なのだ。
 平間さんが言う、音楽を取り巻く音楽体験がレコードにはいろいろな角度から詰まっている。
●5月×日/JICO社の新MCカートリッジ「SETO-HORI REMODEL」発表会が八王子にあるDJバー「SHeLTeR」で開催された。僕はMCをやらせてもらってジョニ・ミッチェルの『シャイン』やマテオ・ストーンマンの『マテオ』、カーメン・マクレエの『シングス・モンク』などボーカルものを中心にレコードをかけた。

JICOから発売された新MCカートリッジ「SETO-HORI REMODEL」。
陶磁器製のボディ、アルミと銅の合金削り出しヘッドシェルが特徴

実は会が終了してから、参加者のみの限定でJICOがこの秋に販売する予定のMMカートリッジが発表され音を聴いた。
 JICOはシュアのMMカートリッジM44のレプリカとなるJ44を昨春発売したが、試行錯誤しながら開発を進めていく段階で、系統としてはM44の音に間違いないが、中域から低域にかけてよりラウドで押しが強いタイプのものがひょっこりできた。これをレプリカとして売るにはやや無理があるが、そのまま葬り去るにはあまりにも惜しいため、J44の軌道がのるまで待って、ようやく発売することになったそうだ。
 僕はモニターとして、なにか意見があったら遠慮なく言ってくださいとプロトタイプを使わせてもらっているのだが、なかなかどうしてこれがいい感じなのだ。中低域がすこぶる豊穣で音楽の安定感が増し、音量を絞ってもしょぼくならない。
 高域は決して出ていないわけではないが、低域の陰に隠れがちになるので、システムの電源回りをいじって、全体を引き締める方向でチューンしてより良くなった。
 そこでふと思った。デジタルっぽいカートリッジが多いなか、こういういかにもアナログっぽい音なら、モノラルシステムにもいけるに違いない。使い始めたオーロラサウンドのフォノイコライザーEQ-100は、ステレオ信号でも統合してモノで出力してくれることをいいことに、GRAY RESEARCH 208のアームに取り付けてみた。

GRAY RESEARCH 208のアームに
この秋発売予定のJ44別バージョンモデルを装着してモノラル盤を聴く

問題は針だ。一般的な針先0.7ミルのものでは、50年代プレス盤には音が浅いようで、1.0ミルのJICO製N44-G MONO IMPROVED NUDEにしたら、ばっちりハマった。
 ヴィンテージ・カートリッジをずっと使ってきたけど、針が古いせいなのか盤によって相性があってうまくいくと極上なのだが、合わないときは歪みっぽくて聴く気にならない。あるいは50年代のジャズがうまく鳴っても60年代のロックがうまくいくとは限らず、ゴキゲンをうかがう必要がある。
 そこへ行くとこういう新しい針だとヴィンテージ・カートリッジで特定の盤をかけたときのある種マックスの音にまでは届かないかもしれないが、守備範囲がめっぽう広くどれでも平均点が高い。
 さらにはSP盤用の針で3.0ミルのN-95-3も買って、マディ・ウォータースのSP盤も買って聴いてみたがこれもいける。

JICOが販売しているSP用針で3.0ミルのN-95-3

 そんなことでJICOのJ44改スピンオフ・カートリッジがどうのこうのというよりも、シュア製でもJICO製でも44系カートリッジは針交換でカートリッジ何個分も楽しめるみたいな話でした。

(2022年6月20日更新)   第329回に戻る


※鈴木裕氏は療養中のため、しばらく休載となります。(2022年5月27日)


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田中伊佐資(たなかいさし)

東京都生まれ。音楽雑誌の編集者を経てフリーライターに。近著は『大判 音の見える部屋 私のオーディオ人生譚』(音楽之友社)。ほか『ヴィニジャン レコード・オーディオの私的な壺』『ジャズと喫茶とオーディオ』『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(同)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)『オーディオ風土記』(同)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。 Twitter 

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