出逢いからレコーディングまで
彼女を見たのは2年前、代田橋のLIVE HOUSE FEVERだった。うちの店 (ミュージカンテあまね) に出入りしていた小林君 (ギターマガジン編集D) が主催したライブにゲスト出演、華奢な体に大きなアコギを抱えて歌う姿に、ひょっとして彼女と縁があるかも知れないと思った。理由はない。
その後、小林君の友人のロマンチック☆安田君 (爆弾ジョニー) が彼女をうちに連れてきて、木綿のハンカチーフを安田君のピアノで歌ったり、うちでの忘年会で、札幌出身の同郷仲間と呑んだりとはあったが、あくまでお客としてで、特別何かが始まったわけではなかったし、彼女がどんな音楽をやるのかも興味がなかった。何しろ親子ほど年が離れているのだ。ちなみに彼女の母親と僕は同い年。
昨年の春頃から、コロナ禍の店の有効利用を、安田君を介してスタートしていた。主としてリハーサルスタジオ、時にレコーディングと、今までにはない店の使い方である。betcover! のレコーディングをしたり、徳永ゆうきのライブサポートのリハも行われた。
そんな中、彼女と二人でリハーサルをしたいと安田君が言ったのは、昨年の夏のことだった。重いエレキベースを背負って彼女はやって来た。彼女の名前は「中野ミホ」。
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中野ミホさんがDrop'sというバンドに所属していることは、かなり前に聞いた。一応、Wikiで読んだりYouTubeで観たりしたがそれっきり、若い女の子だけのバンドなんだな程度。
もともとバンドに関心がないのだと思う。それどころか音楽自体にも。それを扱う店の者としてどうなのかだが、だからこそ好き嫌いせず、選り好みせずやって来られたとも言えるだろう。
2015年頃から、社会人音楽愛好家を集めて「アコナイ」というイベントを店で開催している。新宿の戸山公園で知り合ったハイ・ブースターズのやてふこと、岩本さんと練って始めた。参加者が演者であり観客、10分程度の持ち時間を、7〜10組程度の演者が順番に、2まわししていく方法で、これがなかなか面白い。
毎回主催者が変わり、いろいろな演者がそれぞれの味を出している。まだ楽器を初めて間もない方から、過去に相当のプロはだしまで、オリジナルありカバーあり、開催回数は50回を越えた。毎回変わるアートワークも楽しい。
あるとき、主催者のひとり、後藤さん(ゴトーカメレオン) が「関さんがリスペクトしているアーティストは誰ですか?」と尋ねてきた。「特にありません」と答えたら、「えっ?」と驚かれた。
たしかに音楽をやる人なら、誰か手本となる、憧れるアーティストがいるのが普通だろう。けれど僕にはない。幼い頃に先生の勧めでピアノを習い、それが嫌になって中学に入って一切やめた。音楽、著名アーティストに関心を持てなかったのは、その体験のせいかも知れない。
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今はコロナ禍でアコナイは休止中だが、SNSを通して頻繁に交流している。ときどき音楽ネタにコメントをくれたり、逆に音楽ネタで楽しませてくれたり、Facebookでアコナイ参加の方々と友達になって良かったとつくづく思う。
中野ミホさんと安田君がうちでリハーサルをした初めての日、写真を撮ってFacebookに投稿した。すると、アコナイに参加の石田さん(イシダス) から突然「ミホさんのファンです!」とコメントが入ってびっくりした。「ドロップス、とても好きなんです!」とも。
石田さんは楽器の投稿をよくしていて、ギターを作っているのを幾度も見ている。僕には何が何だかわからないけど、その世界ではキワモノのように思えた。
その石田さんが中野ミホさんのファンと言ったのが起点だった。音楽自体には大して興味がないけれど、人には滅法興味がある。ふとしたことからアコナイを始め数百人の演者を見、それぞれの生き方を垣間見た。人となりを見た。音楽は、その人の「ありのまま」が出る、現在進行形が顕著に現れるが持論になった。
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中野ミホさんと安田君のリハーサルに、ドラムのサトウミノルさんが加わった。去年の夏の終わりのことである。安田君がこのバンドセット、ピアノ・ベース・ドラムで何かしたいと練習しているんです、でも、先は何も決まっていないんですと言った。
サトウミノルさんは、年齢では二人より僕に近い。だからか古風な珍しい車でドラムを運んできた。水色の小型車でギアはマニュアル、内装も丁寧に仕上げてある。それを撮ってFacebookに投稿したら、またもアコナイの参加者、岸ヒロユキさんがコメントしてきて、その車が「パオ」ということを知った。アコナイの参加者は僕より博識な方が沢山いて頼もしい。madclownこと大藤さんが、アコナイの演者をツワモノと呼んだことがあるが、まさにである。
リハーサルを観たり撮影したり、それぞれのメンバーと話したりしているうちに、この3人の奏でる音に体が反応するようになってきた。頭の中でリピートするようになってきた。
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バンド活動休止。
Drop'sが10月の恵比寿 LIQUIDROOMでのライブを区切りに活動休止するという話を、フォローしていた中野ミホさんのツイートで知った。その気配は、店でのリハーサルの休憩中、安田君と二人でする会話の中で薄々感じていたから、特段驚かなかった。
バンド継続というのは難しいらしい。それも高校生で集まり社会人になっていくとなれば尚更だろう。メンバーそれぞれ暮らしも考え方も変わっていくと思う。自分の18歳から28歳、28歳は今の中野ミホさんの年齢だが、を振り返ったらよくわかる。僕も恐ろしいほど変わった。六本木のディスコのウェイターから、ホテル経営会社の企画部サラリーマン、まあどうでもいいけど。
Drop'sのライブツアーとは別に、中野ミホさんはソロ活動もしていた。タイミングが合えば安田君がピアノやギターでサポートしていた。安田君は自身のバンド、爆弾ジョニーをはじめ、忘れらんねえよ、betcover! 、徳永ゆうき等のサポートで忙しそうだった。
秋も深まった11月、サトウミノルさんをゲストドラマーに迎え、いよいよ3人でライブをすると聞き、下北沢の440に行ってみた。スポットライトの当たる中野ミホさんを観たのは2回目、ライブを全部通して観たのは初めてである。次々と繰り出される楽曲、MCが殆どないのが新鮮だった。楽曲に言いたいこと全てが詰まっているからだろうか? そんなことを考えた。
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12月、所属事務所を退所することになったと中野ミホさんがリハーサルの後に言った。何か力になります、サポートしましょうと口が勝手に動いた。
今年になってレコーディングが始まり、うちの店も打ち合わせ、練習、録音会場と使われた。気を遣う中野ミホさんからときどき差し入れを頂く。札幌に帰ったときは六花亭のバターサンドだったり、最近では遅ればせながらとバレンタインデーのチョコレートを貰った。
育った環境なんだろうなと思う。そして周りにいる人達の影響。それが、人を気遣うという、ともすれば面倒な行動を、臆せず自然にやってしまうのだろう。ただの差し入れなのだが、接客業の長い自分には、ただだけでは済まされない。
そういう中野ミホさんの人柄を安田君も感じているようで、精一杯協力していた。沢山の機材を店に運び込み、2日間、昼夜に渡ってレコーディングしていく。メインは山中湖のスタジオで録り、それに少しずつ音、コーラスやエレキギター等を足していった。最後に軽く聴かせてもらったが、もうこのまま世に出してもいいのではと思うほど、でもまだミックス前である。
6曲入りのアルバムになるそうだ。ツイッターではそれを知った中野ミホさんのファン達が、待ってました!楽しみ!と騒いでいた。嬉しかった。
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「あのとき、あのことがあったから」
その連続が何かを生み出すのは間違いない。そうしてそれを繰り返し経験していくことで、縁を予感するのだと思う。それが愉快でずっと店を続けてきた。音楽に携わってきた。
そう言えば、中野ミホさんが出た代田橋のLIVE HOUSE FEVERは、たしかトラ出演だったと思う。わりと有名なバンドが出演キャンセルになり、中野ミホさんが代わりに呼ばれたとか。それを初めて行った僕が、偶然見たのだった。
今年の干支は寅だが、そのトラとは関係ない。エキストラのトラからきているそうだ。中野ミホさんの母親と僕は同い年と前に書いたが、干支は寅である。今年還暦、まあどうでもいいけど。
【追記】
アルバムの発売は5月か6月を予定しています。どうぞ宜しくお願いします!動画は、この曲でファンになった方も多い、Drop'sの『コール・ミー』です。