なんにもない私の原動力となった「ライブ」
2013年。K-POPグループのJYJが日本でのライブを発表した。
その知らせでどういうわけか「このままじゃダメだ。このままじゃ永遠に行けない。」と突き動かされ、むくむくと力が湧いた。
それで今の生活がある。金銭的余裕がなくてこのライブには行けていない。知らせだけで復活できてしまった。奇跡。
当時の私は「なんにもない」という思考の中に埋まっていた。
“なんにもないって気持ちがいいな なんにもないからなんでもあんだ”
森山直太朗『明けない夜はないってことを明けない夜に考えていた』より
だからこの歌詞にからっぽの心でしがみつこうとした。(DISCOGRAPHY)
“私には何もない 与えうる何もない
君をただ笑わせて
負けるなと願うだけ”
中島みゆき『泣かないでアマテラス』より
与えるほうもなんにもないものなのかとこの歌で思った。(DISCOGRAPHY)
そのなんにもない頭でも唯一、お腹を抱えて笑い転げられたものがあった。
2012年頃、友人に布教された東方神起やSuper JuniorといったK-POPアイドル。イケメンなのにバラエティが面白い。「人体探検隊」を始めとする面白動画がたくさんあった。かっこよくて歌もダンスもレベル高いのにバカでアホなことばかりしているから、何も考えずに「バカだ」「アホだ」と爆笑するだけでよかった。
今になり、私にはずっと音楽があったことに気がつく。なんにもないなと思っているときすらその言葉を含んだ曲が自然と脳内を流れていた。
Michael Jackson。
2009年逝去の報道で『They Don't Care About Us』のリハ映像を目にした途端、ダンスと曲の虜になった。からだに稲妻が走ったかのような衝撃をよく覚えている。
映画『THIS IS IT』を5回観て、同時上映の『MOONWALKER』も5回観て、動画をあさって、生前の彼について調べて、偏見を抱いていた自分に反省して。毎日頭の中はMichael Jackson。ダンスを観ることの面白さを知った。
Michaelを楽しむ人、パフォーマンスをカバーする人は世界中にいる。彼が作品に込めたメッセージは消えない。今もこれからもずっと、あらゆるところで、Michael Jacksonは生き続けている。
“この一生だけでは辿り着けないとしても
命のバトン掴んで願いを引き継いでゆけ”
中島みゆき『命のリレー』より
冒頭の2013年で奮い立ってから紆余曲折。いつからか脳内に流れるようになった中島みゆきさんのこのフレーズとMichaelが繋がったとき、過去の私のなんにもない諦念感は、浄化された。(歌詞・DISCOGRAPHY)
人生を、やるかやらないかで苦しんだ。「やらない」選択肢は諦めないといけないようだという絶望。私は0か100かの完璧主義。出来ないんだったらやらない。やるならすべてにこだわってやり遂げたいのだ。でも散々頑張って分かったのは、私には出来ない、私には無理という現実。
完璧主義は決して褒め言葉でないことを実感したのは、のちのちのこと。だんだんと、メイクしないでいいや、恋愛もしないでいいや、それをする人を否定しなければいいんだからと考えるようになり、ずいぶんと楽になった。
みゆきさんが言葉で届けてくれて、Michaelが実証してくれた。
特別な才能がなくてもいい。自分のしたなんでもないことが誰かの心にはずっと温かく残るかもしれない。私が思う精一杯を生きていさえすれば、成し得なかったこともきっと誰かが受け継いでくれるかもしれない。そう思えて救われた。
Michaelをこんなに好きなのにもういない。亡くなったのがきっかけである悲しさと悔しさ。
この思いが強く今に影響している。
会いたい人がいたらタイミングがあうかぎり会いに行きたい。
ライブ、コンサートで味わえる「今」「そこに」ある瞬間。
好みの才能を持った人はどこにいるか分からない。あらゆる方向にアンテナを張りめぐらせて。
好きに貪欲に。
音楽とライブと、人。
感謝の気持ちをなにかに変えたいと思う、2020年の始まり。
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