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ピアノ講師が口うるさく言うには訳がある

小学生くらいの幼少期、ピアノレッスンに通い、或いは通わされ、先生から細かいことを口うるさく言われた経験をお持ちの方は、多いと思う。それが原因でピアノ嫌いになった方も、さぞ大勢いるのではないかと想像する。

言われることの中でも最も基本的であり、且つ面倒くさいと思われる、指遣いの指示と、音を間違えたときの訂正に関して、なぜそこまでの注意が必要なのかを書いてみる。

因みに、大人の趣味のピアノの場合、本人に大して向上心がなく、プライドが高く指導されることそのものを嫌がる場合、ピアノ講師はこれらの注意をほとんどしないのではないか。それはその生徒があくまでもお客さんであり、上達させるべき生徒とは考えないからである。本気の生徒、よく練習してくる生徒、向上心のある生徒、素質のある生徒ほど、講師側も口うるさくなる。そうでなければ生徒に対して失礼であり、これは講師側の期待の裏返しでもあると思う。

1、執拗なまでの、指遣いの指示
音さえ合っていれば何の指で弾いてもいいじゃないか、と思われるかもしれない。ところがピアノは、運指の定石とも言えるものをマスターしないと、指が回るようにはならないのだ。速いパッセージを乱れず弾くのを見ると、そのテクニックに驚くかもしれないが、これはそれぞれの指の運動能力を熟知した、適切な運指があってこそだ。運指は師から弟子へと伝授される、秘伝でもあったのだ。

両手10本の指で88鍵を自在に操るには、それ相応の工夫が必要だ。これを自己流でやるのはかなり難しい。人間の指はどうしても1、2、3がメインとして使われる。そのため4、5を適切な箇所で適切に使えるようにするのは、至難の技だ。ずっと独学でクラシックを弾いていると、一見指が動いているように見えるが、適切な場所で4が使いこなせないために、いくら練習しても限界に達してしまうということになりがちだ。せっかく習うのであれば、指遣いは徹底的に指導してもらった方が良い。運指のない楽譜で、一人で指遣いを決められない場合、相談することもできる。

もし、このクラシックピアノ特有の運指が面倒くさ過ぎて無理だという場合、即興で弾くポップスやジャズなどをお勧めする。全く運指が必要ないということはないが、複雑な内声を弾き分けるということは少ないし、やりにくければ、やり易いように編曲してしまえば良いので、その点はかなり楽である。曲に自分の指を当てはめるのではなく、自分の指に曲を合わせてしまうという感覚だ。それぞれの指の癖のようなものを生かせるし、編曲の自由さも味わえる。ただ、それなりに複雑な即興をしたいと思うならば、やはり自在に指を使えることが重要となってくる。指遣いの基礎は、ジャンル問わず共通だ。

2、音を間違えたときの、しつこい訂正
音を間違えるにも、色々と種類がある。明らかなミスタッチ、音をかする程度、同じ部分で繰り返すミス、たまたま間違えただけのミス。この中で講師が注意するのは、同じ部分で常に繰り返すミスに関してである。つまり、その部分はまだマスター出来ておらず、誤魔化して弾いているということ。全体を通して弾くと、なんとなく出来ているように感じるものだが、こういった部分は取り出して丁寧な練習しないと、そのまま放っておいて、上手く弾けるようになる確率は低い。

つまり、もう少し自分の演奏の細かい部分をよく聴いて、練習の仕方を丁寧にやってみて欲しいということなのだ。ピアノは音が多く、複雑な構築が要求されるので、上級レベルの曲を、ひとつのミスタッチもなく弾くということは、ほとんど不可能に近い。だから、たまたま間違っただけの音に関して、うるさく言う講師はいないと思う。おざなりな部分が目立つときに、口うるさくなるのだ。

また、よく言われるのが、確かに音は違っているが、和声的には合っているという場合、違和感もなく、そこまでミスに拘らなくても良いのでは?ということだ。これはある意味では的を得ており、プロフェッショナルでも、わざと似たようなことをやる場合がある。

しかし、初級のうちにこれをやるのは全くお勧めしない。なぜなら、耳と指が間違いを認識し、素早く訂正するという作業が、ピアノを上達させるからである。初めからすぐ完全に弾ける人はいない。思い通りに動かないミスタッチだらけの指を、徐々にコントロール出来るようにする過程が練習だ。そのためには、自分で素早く訂正出来るということが非常に大事で、初期のうちから間違った音に寛容になり過ぎると、ちっとも上達しなくなる。だからこそ、音が違うことを指摘する。

ピアノを習って細かく指摘されるのは、上手くなる年齢である、上手くなって欲しいと思われている、上達する見込みがある、生徒が熱心、先生に期待されている、など、ポジティブな背景がある場合に多い。


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