絶対音感に価値はあるか?
なぜ理由もなく、絶対音感を身につけるような教育が流行ってしまったのだろう。絶対音感とは、耳にした音が全て、音階の音として認知できる能力を言う。楽器に限らず、例えば、スプーンでコップを叩いて出した音、ありとあらゆる電子音、人の声などが、何の音に当たるかが分かる。これは、アイウエオがアイウエオとしか聞こえない、というくらい、明確に分かる。何となく分かるというのとは違う。そうとしか聞こえないという意味だ。
しかし、実生活に存在する音は、きっちりドレミファソラシド、及びその#、♭に当てはまる音ばかりではない。そういった時は結構気持ち悪く感じるし、絶対音感保持者は音に敏感過ぎて、日々「音疲労」に悩まされる。良いことばかりではない。
もちろんメリットもある。プロフェッショナルを目指す場合、やはり役に立つ能力であるし、耳コピが非常に簡単にできる。時間の節約にもなり、楽器を演奏する場合、何かと便利な能力には違いない。
親が子ども達に絶対音感を身につけようと躍起になったりするのは、この能力がおおよそ6歳を過ぎると、習得するのが難しいと言われているからである。ただし、もっと年齢を重ねてからでも、更には大人になってからでも、訓練次第では身につくという実験もあり、本当のところどこに臨界期が存在するのか、はっきりとは分からない。
とは言うものの、幼少のうちにソルフェージュなどで訓練すると、かなりの確率で身につくのが絶対音感だ。そこまで多大な労力を要するものでもないので、この子は音楽家になるかもなあ、と思えば、絶対音感を売りにしている教室で学ばせるのもいいかもしれない。
ただ、巷で言われている程、この能力が素晴らしい訳でも、音楽以外で広範囲に役立つ訳でもない。なので、「絶対音感が身につきます!」という謳い文句は、それ自体そんなに価値があるものではない。また、音楽の専門家ではなくとも、歌が上手い(それなりに音程が取れる)大人なら、方法を学べば、自分の子どもに教育可能である。