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精神的リストカットと緩やかな自殺
「幸福」なんてものは、人生の最終目標でもなければ、「不幸」と比べてどちらがよいなどと言えるものでもない。
悪天候が続くことよりも雲一つない日が続くことのほうがよっぽど耐え難いということは明らかで、我々は幸せになりたいわけではなく、「幸せになりたい」と言っている自分に酔っていたいのである。
以下は、「自分」なるものが存在すると考える人に向けるメッセージである。
人間は川の中の笧である
我々にとっての「仕事」というのは熱力学第二法則への反抗であり、自由意志とは決定論への叛逆である。
我々は無限に大きな川の中に存在する杭であり、自身の存在はその川の流れに抗っているという反作用によってのみ認識できる。
自分の価値というのは、世界を自分がいなかった世界ではないものにする点であるし、自分がいてもいなくても同じなのであれば、自我は世界に溶け込み埋没し、アイデンティティは拡散する。あるべき流れを攪乱することが、我々の使命である。
過去の忘却と精神的リストカット
「うまくいく」というのは悲劇である。「うまくいく」の中に「私」は存在しない。
だから、常に「うまくいかなさ」を追求していくしかない。自分らしさの行きつく先は「精神的リストカット」だ。幸せを希求し続けるために、常に不安であり続けなければならない。そのために、過去なんてものは「あるべき流れ」の材料であるから、(もちろん存在はしているが)忘却していかなければならないのである。
緩やかな自殺
ここでいう緩やかな自殺はいわゆるセルフネグレクトのことではなく、もっと積極的なことである。
寿命という与えられた時間を、自らの手で消費しきるということ。
「時が過ぎる」のではなくて、「(私が)時を過ごす」ということ。運命から目を背け、あるいは運命に抗うこと。
不条理こそが、自分を自分たらしめているのだということ。