時間がない
時間がない、とおもう。
それはいまに始まったことではなく、ずっと。
思い返せば高校くらいからぼんやりとおもい始めて、人生の夏休みと呼ばれているはずの大学時代、その後の社会人時代も続いている。
そしてとりわけ先月10月は、時間が無いなぁと思うことが多かった。
労働者として働いているので、会社に対して時間を捧げることはある意味不可避である。
朝9時半から18時まで拘束されるのは、自ら選んだ選択とも言える。
ここ最近は、育休に入る予定だった人の仕事を引き継ぐことになり、もともとやっていた広報の仕事から、広告の運用周りのリーダー統括業務をやることになった。
出生が予定より1ヶ月早まって、この1ヶ月でやる予定だった引き継ぎや内容ができなくなってしまうハプニングもあった。
引き継ぎ元は男性だったので、生まれてもすぐ育休必須ではなかった関係もあり、本格的な休業前に3日間だけ引き継ぎのため在宅勤務してくれることになった。
それで言われたことがなかなかに衝撃的というか、自分にとって心に刺さった。
『あなたは今ある仕事や溢れ出てくる仕事が忙しいことを言い訳にして、引き継ごうとしているこのプロダクトやサービスを理解しようとしてない』
もっとざっくり言うと、『できない』の言い訳を『忙しい』にしていて、『それは違う』ということだった。
当初は休みに入って周囲に迷惑をかける立場の人がこんなことを引き継ぐ人に言えるんだ?という気持ちもあったが、考えれば考えるほど、この意見は正論だし、そうだなぁと思うようになった。
自分は、ずっと忙しい(と思ってる)
そして忙しいからずっと出来ていないことがある
それは今回のこの業務引き継ぎだけでなく、生活や自分に対しての投資など、あらゆることで自分に対して感じ続けてきたなとおもう。
その引き継ぎ元の人には、『時間がないなら、業務の断捨離をしたらいいよ』とも言われた。
当たり前のことなのに、『業務を断捨離』という言葉のインパクトも相まって、ほお〜〜と思ってしまった。
自分がやらなくていいことは誰かにお願いする
こんな簡単なことだけど、意外と自分の性格上お願いすることに申し訳なさを感じたり、たくさん仕事を抱えていることが充足感にも繋がる気がして、手放すのが怖かったんだなと気づいた。
時間は作らないと永遠に生まれないというが、
時間を作るためには、『やらないこと』を思い切って決めることが大事。
仕事意外にも、家事とか生活でも『やらないことを決める』
自分の場合は、あれやらないと…とずっとやることリストに残っていると脳にゴミが溜まっていく感覚がある。
なので、本来リラックスしたい時間や心を緩めたい時にも、あれやってないな…と思い出してそわそわする癖がある。
思い込みの癖、認知の歪み
私の場合の、万年時間がない(もしくはないと感じる)のは、考え方の癖もあるんだろうなと思った。
すこしずつ、いろんなことを断捨離して
かる〜〜〜く生きていきたい(笑)
p.s
ちなみに森道市場のヘッドライナーで聴いて、ぼんやり覚えてたキリンジの歌の【時間がない】は、改めて聴き直すと、この手の話とは全然関係なかった。