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#19ビョーク『フォソーラ』

鈴木さんへ

 アー写も、1曲目の不気味な声も、オジー流ロックの様式美だと思っているので、大丈夫ですよ。私がレコード会社にいた頃、オジーは、アルコールとドラックの深刻な問題を抱えていて、アルバムは出していたけれど、パフォーマンスに障害をきたすほど健康状態が悪化していたはず。それを考えると、不死身というか、70歳を超えても今なお新作を発表していることが奇跡に思えます。
 そして、ゲストですね。ザック・ワイルドが4曲でギターを弾いていて、オジーの愛と信頼の厚さを感じさせるし、クラプトンは、何か積極的に他のアーティストと関わろうとしているんでしょうかね。と言うのは、11月25日に公開されるビー・ジーズのドキュメンタリー映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』に出演して、インタビューに応えています。
 それから鈴木さんが言うように古いとか、今の音じゃないとか、そういうのは音楽を好きになる、その作品を好きになる動機としてあまり重要じゃないですよね。私はそう思います。流行というのは時代を映す鏡のような存在だし、それぞれの思い出がリンクするということにおいては大切。でも、創作においては……、ね。ちょうどラジオ番組『My Jam』の台本を書いていて、次のテーマがビル・ウィザースなのですが、あんなに素晴らしい名曲を残している彼が第一線から退くきっかけになったのも、新任のA&Rから流行の音を取り入れるように指示されたことだと言われています。古い時代の話ではあるけれど、まさに才能を抹殺してしまった暴言ですよね。

ビョーク『フォソーラ』

 ビョークのむき出しの肉声が大好きだ。未体験のプリミティヴなエネルギーに溢れていて、時には神聖にさえ感じられる。5年ぶりの新作は、5年前に制作を始めたという。この間に私たちは、パンデミックを現在進行形で経験し、ビョークは、母の死に直面して、銃犯罪の恐怖もあってアイスランドに帰国した。それらが新作制作の動機とつながった。地球規模のロックダウンを彼女は、「家にこもって自粛して、ひとつの場所にいて根を下ろした」こととして捉えていて、そこからラテン語の”掘る人”を女性名詞にした造語の『フォソーラ』をアルバム・タイトルにした。
 どの曲も生楽器と声、デジタル音のハイブリットで構成されている。その中核にあるのがクラリネットのアンサンブルだ。時にはデジタルエラー?と思わせるような音もある。それも実験的とか、斬新とかには映らず、地上の出来事のひとつと思える不思議なナチュラル感がある。


 そして、それに続く『Sorrowful Soil』は、母の死から生まれた曲で、合唱団の歌が讃美歌のように響く。母の存在を表現する歌詞には「女の子は、体内に400個の卵を宿して生まれる」とあり、そのひとつから自分が生まれたという思いがあるようだ。他の歌詞にもビョークらしさがあるというか、『フォソーラ』をみても映像が明確に浮かぶようなストーリー展開があり、来年の来日公演が2つの異なる形式のコンサートとなるなかで、『コーニュコピア』とタイトルされたひとつが演劇と音楽の融合になるという。そのコンセプトに辿り着いた理由がよくわかる。ただし、私の中に明確に浮かんだ映像は的外れというか、きっと大きく裏切られるはずだ。だって、このMVの映像も十分に不思議ワールドだもの。ビョークの発言から類推すると、映像のなかの彼女は”きのこ姫”なんじゃないかな……。
 おそらく本人にその意識はないはずだが、私には彼女の声にアイスランドという北極圏の島国が色濃く孕む地球のエネルギーを感じずにはいられない。大地のたくましき呼吸とでも言うか、それが冒頭のむき出しの肉声という言葉になるのだと思う。
                            服部のり子

 
 



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