高萩万次郎の墓と金毘羅大権現碑
清水次郎長の兄貴分で、小金井小次郎や多摩の暴れ者小川の幸蔵にも盃をやったといわれる武州高萩の顔役
「高萩万次郎」
この人のお墓と、本人が建立した金毘羅大権現の石碑があるというのでもののついでに埼玉県日高市へと行ってまいりました。
巨大スーパーと廃れた個人商店と住宅しかない、なんてことないただの田舎
ですが、江戸の昔は八王子千人同心が日光東照宮の守りを受け持っていたことから八王子千人町を起点として野州例幣使街道へとつながる脇往還が整備されており、相当の人の行き来があったといわれています。
大名行列が通るわけではないので本陣はないものの、宿場があり、荷と人の行き来があれば当然盆ゴザのいたずらが始まるわけで、代々土地の名主をつとめたボンボンである万次郎は十手取り縄をあずかる身分となり、武州でも名うての顔役になっていきました。
次郎長よりも15ばかり年長だった万次郎は次郎長が若い頃賭場のいさかいから人を傷つけ兇状わらじを履いたとき世話をしたのをきっかけに付き合うようになり、親分、次郎長、と呼び合う仲になったそうです。
さてこの石碑、慶応年間に造られたものが地震や雨風ですこしずつ崩れ無残な有様だったのを見かねて平成27年に地元有志の方々が新たに建てたもの。
かつて万次郎が営んでいた旅籠「鶴屋」跡にあります。
すばらしいですね。次郎長同様、未だ地元で愛され続ける親分。
さて、石碑はわかりやすい場所にあったからいいものの、墓となると寺の名前がわかるだけでじっさい墓場を探索しなければならない。
保育園併設の立派なお寺の広い墓地をうろうろしていると坊主頭のおじさんが出てきて
なにかお探しですか?
あのー、高萩の万次郎のお墓を探してるんですが
あー、きいたことはあるんですが、わたしも住職かわったばっかりで、ちょっとわかんないですねえ。ここじゃないんじゃないかなあ。
研究をされてる人なんかがよく来られるんですけど…観光地じゃないんで…
そうなんですかあ、わかりました。とにかく怪しい者ではないんで、あんまり入り込まないようにしますね
と言って別れ、残念だなあと思って再度ネットで調べてみるとどうやら高萩交差点というところからすこし行ったところに小さな墓所があるらしいということをつきとめさっそく行ってみると
ありました
田舎道の側にあるちょっとした丘の上、小さな墓石がポツンポツンとある中に「清水万次郎」と彫りつけられた墓石が。
まったく手こずらせやがって、しかし、やっと会えましたねえ、と、枯葉を踏みしめながら合掌。
寺に引き返して住職に教えてあげようかと思ったけど、仏心を持ち合わせないわたしは関東平野を吹きすぎる風にさからいながら元きた道をひきかえしました。
縞のかっぱを翻して歩んだ万次郎や次郎長のことをかんがえながら。
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