飯岡助五郎の墓
千葉県がまだ下総上総安房の三国にわかれていた時分、坂東太郎は利根川流域を舞台に、笹川、飯岡両身内が賭場の縄張りをめぐってはげしい争いをくり広げた顛末をつづる「天保水滸伝」
あたくしはお芝居や講談浪曲を通じてこの話を知り、調べていくうちに深みにはまり去年は笹川の記念館まで行って係のおじさんにいろんなことを根掘り葉掘り聞いたんですが、きょうは寒いし雨だけど、なんとなく気分が乗ったので飯岡方の本拠地、銚子にある助五郎の墓まで足を伸ばしてみることに。
ところは銚子港の南西に位置する飯岡高台寺。移築されたというりっぱな墓所に、石渡助五郎と彫り込まれたふるめかしい墓石が。しょぼしょぼ雨が降るなか墓参の人影もなく、三浦屋はひっそりと眠っているようだった。
それから近所にある定慶寺にあるライバル笹川繁蔵の首塚へ。
こちらもひときわ大きな石碑に、繁蔵供養のため昭和八年地元有志が建立したとある。
天保時代の争いあと昭和の御代まであとを引いていたのかと思うと、両者の深い遺恨を感じてとれる。
教科書には乗らない、地べたを這いずり度胸千両で生きた男たちの記録。
やくざはつれぇ稼業だなあ。