
Photo by
wknmh
クリシュナムルティ 世間にいながら世間と離れる
独りであることはいいことだ。世間から遠く離れて、なおかつ世間の街路を歩くことは独りであることだ。~
街路での人の孤立感は生の苦痛である。彼は独り離れているのではなく、疎外されているのでもなく、傷つきやすいわけでもない。
ぎゅうずめの知識が果てのないみじめさを生みだすのだ。表現への欲求、そのフラストレーション、苦痛。それが、あの街路を歩く人だ。彼はけっして独りではない。悲しみはその孤立感の変動したものだ。(『クリシュナムルティの日記』J.クリシュナムルティ著)
世間から遠く離れて、なおかつ世間の街路を歩くことは独りであることだ。というところがとても好きだ。
独り、と孤立感、は似ているようでまったく違うものだ。独りは離れていながら、すべてを含んでいる、といったようなことなのかしら。
表現への欲求。それがままならないことへの苦痛はなんとも馴染みの感覚だ。はびこる承認欲求、と打って聖人欲求、と出てきたのが笑える。聖人、と欲求。なんとも正反対の言葉が組み合わさったものだ。偶然の産物、メッセージ。
強固な自我が自らの首を絞めている。けれどもそれをよすがとする人々の多きこと。自身もまたその一員である。世間にいながら独りであることはできるか。