藤井風 「The sun and the moon」
太陽と地球、そして月。星々の巡りの中で、生きとし生けるものの営みが、連綿と繰り広げられている。
喜びと悲しみ、苦痛と快楽、高揚と鎮静、まだら模様の生のありよう。
「すべてに意味があるから」と、いつか藤井風が言っていた。
それは、喜びや幸せの渦中にいる人、というよりも、
苦境に喘いでいる人々に向けて放たれた言葉のように思えた。
「その苦しみにも意味はあるよ」と。
藤井風の歌が聞きたくて。そんな一心で6月のある日、映画館に足を運んだ。
オリンピック公式映画「東京2020 SIDE A」。
この映画予告で聞いたテーマ曲「The sun and the moon」のフレーズが強く心に残っていてずっと離れなかった。
あの歌が、藤井風のピアノが、オリンピックを、あの夏の東京を映し出したという映像とどのように絡みあっているのだろう。
それを見て、聞いて、感じてみたかった。
週末直前の映画館、噂に聞いていたよりは、観客は多いように感じた。
小さなホールではあったけれど、7割ほど座席は埋まっていただろうか。
柔らかで座り心地のよい椅子に深く体を沈め、思いを彷徨わせていると、
ふいに劇場は暗くなり、映画は始まった。
降りしきる雪の静かな映像、そして、流れ始めた、いまだかつて聞いたことのない「君が代」の、まぎれもない、あのメロディー。
藤井風の歌う「君が代」。
それは、まるでささやくような、鼻歌のような、子守歌のような、
きわめて個人的な、藤井風が、雨に降りこめられて籠っている自室で、
密やかに歌っているような、そんな歌声。
同時にどこか異空間から、人間世界を俯瞰して見ているような、
何の思惑も、感情も、概念も纏っていないかのような、
そんな歌声にも聞こえた。
君が代は他の国々の国歌と比べてみても、とても静謐な曲調であるように思う。
高らかに謳いあげるわけでも、鼓舞するわけでもない。
かつて外国の友人が、
「君が代」ってなんか悲しげだね、鎮魂歌みたい、
といっていたことを思い出す。
映画はそんな静かで、どこまでもフラットな藤井風の「君が代」から始まり、そのあとは、ナレーションのない映像詩のような映像が続いた。
オリンピアンという特別の称号を与えられたアスリートと、
彼らを支える人たち、そしてその舞台となる東京がいつしか交差していく。
映画館の暗闇の中では完璧なまでに音に包まれる。
とりわけ水の音が印象的だった。
それら包み込まれるような音と映像から、
私は底冷えのする冬の寒さや、長かった梅雨のむっとするような湿気、
真夏の耐えがたいほどの暑さと、肌にはりついた汗の感触をありありと思い出すことができた。
あの2020年から2021年にかけての遠いようで近いような記憶。
どこか、いつも、自身の周りが何かに覆われているかのように、息苦しかった日々…。
水中に煌めく泡の音、
静かに降り注ぐ雨の音、
人々が行き交う雑踏の音、
怒号を発しながらぶつかりあう人々の音、
戦闘機が上空を横切る音、
海峡を進んでいくあまりに頼りなげな小船の進む音、
巨大なスタジアムに響く地鳴りのような音、
ダイナミックにさかまき、ぶつかりあう波の音・・・。
体感できた。まるで、自分がその場にいるかのようだった。
アスリートと呼ばれる人たち。ひとことでそう称されるけれど、あまりにも、ひとりひとりが違っていた。
様々な立場、背景を持ちながらも、彼らは一様にもがき、苦しみ、ひと筋の光を求めているように見えた。
そして、同じだった。
彼らが自分とは違う並外れた才能と肉体をもった選ばれし人々である、ということはわかる。
けれど、やはり、自身同様、悩み、苦悩しながら、刻一刻と変わり続けるこの生を手探りで生きている自身と同じ人間なのだ、と思えた。
映画が終わりにさしかかると、走馬灯のように、あの夏に繰り広げられたオリンピックの映像断片が凄まじい勢いで流れた。
そして、あの歌が聞こえた。「The sun and the moon」。
不思議な歌声だった。慰撫するような、とでもいえばいいのだろうか。
ジャジーな曲調。その声は若くもあり、老いているようでもあり、
男でもあり、女でもあるような・・・。
老いた女性シャンソン歌手が歌っている、といっても通じるような、そんな声にも聞こえた。
その歌声はこれまで聞いたことのない藤井風の声だったし、
どんなカテゴリーもとっぱらったような、中性的、中庸さを感じさせる声だった。
そして、歌詞のあるフレーズが私の心を捉えた。
「私たちはすべてを手にしている。けれどコントロールが必要だ」
「いつやめて、いつ手放すのか・・・」
驚いた。
世界最高レベルで勝者が讃えられる競争の晴れ舞台オリンピック。
その記録映画のエンディングを飾るテーマ曲に
「コントロールが必要」、「いつやめて、いつ手放すのか」
という言葉が、「不屈」、「限界突破」、「名誉」、「栄光」という言葉に彩られたオリンピックに、アンチテーゼのように響いている気がした。
人はなぜ、ここまで、勝利に固執し、多くの犠牲を払ってまで(時に命をかけてまで)それを求めようとするのか?
なぜ、勝つ、ことが善きことであり、負ける、ことが悪しきことなのだろう?
そんな問いを投げかけられているような気がした。
「競争」。「闘争」。それは原始の頃より培われた生存本能?
かつて勝つことは生存を、負けることは死を意味していた。
このことは人の中に深く根差した避けがたい本能なのだろうか。
私たちには闘争と暴力、飽くなき競争と進化への欲望が否応なしに
組み込まれているのだろうか。
この闘争を続けるのか。これからも。未来永劫?
これこそ苦しみの根源ではないのだろうか。
それでも、その苦しみには意味があるのだろうか。
この苦しみから解放されることはないのだろうか。
コントロールが必要だ。
そして、新しい認識が必要だ。
まったく新しい思考の転換が必要だ。
「The sun and the moon」。
この歌がそんなことを語りかけているような気がした。
凄い歌が生まれたと思う。
驚くべき示唆に満ちた歌。
たった一度、映画館で聴いただけなのだ。
この歌をまた聴くことはできないのだろうか。
この歌に秘められた計り知れないメッセージをもう一度感じてみたい。
そして、多くの人にこの歌が届いて欲しい、と思う。
「The sun and the moon」がリリースされることを願ってやまない。
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