看護師になりたかった
今日は、コロナ禍の今、なぜ会社を退職し、歯科衛生士の資格を取得することにしたのか、その経緯を記録しようと思う。
前回説明した通り、家事や育児で忙しい中、会社に依存してしないで生きていくには「業務独占資格」が良いとGoogleで検索した結果思い至った。
業務独占資格とは
業務独占資格とは、その仕事をするのに必要な資格を指す。
資格が無い人は業務をしてはいけない専門的な仕事に用いられる資格だ。
よく例に出されるのが、「医者」「弁護士」「看護師」だ。
私は、まず「看護師」になりたいと思った。
理由は、実母が看護師だったからだ。
とても大変そうだったが、仕事に充実感があり尊敬もしていた。カッコイイとずっと思っていた。
・・・でも、今の今まで選択してこなかった。
その理由は、母の背中を見て「生半可な気持ちで続けられる仕事ではない」と思っていたからだ。
看護師の母の背中を見て
母は総合病院の看護師として数十年勤めていた。
仕事は毎月シフト制で、3種類(早朝、普通、夜勤)の勤務形態をグルグル回していた。
幼い頃、夜中に母親がいなくて泣いていたことを今でも覚えている。
いつも忙しく疲れていた母親を見て、私には無理な仕事だと思っていた。
そうして私は、母に「女は手に職だよ」と教えられていたのにも関わらず、一般の会社員になっていた。
「やりたいこと」をやるために、比較的、自分の興味の高い業界で仕事をしていた。
若い頃はとても刺激的で、興味深く、楽しかった。
しかし、出産・子育てを経験した今思うことは「手に職」だ。
金持ち父さん的にいえば、「専門職」ではなく「投資家」を目指さないとダメなのだろうけど、「労働者」から「専門職」にジョブチェンジできるならしたいと思った。
私は母と主人に「看護師」になるために看護専門学校にいきたいと相談した。
2人とも答えは「No」であった。
看護師になるために学校へ通うにも、看護師として働き続けるにも、家族の協力は必須である。
詳細がは省くが、私は納得して看護師になるのを諦めた。
そして別の業務独占資格を探すことにした。
(余談)会社の歯車から外れて予備軍の歯車に
出産・子育てで会社の歯車の一部から、歯車の予備軍として二軍に落ちた気がする。
仕事より家庭を優先し休みをたくさん取るし、子供の発熱で急に休むこともあった。(もちろん、主人も協力してくれたが、私の会社の方が融通が効いたので私が対応することが多かった)
そして、最初の出産から4年、私は「作業」しかせず「仕事」をしていなかった。
「作業」はとても楽だった。ずっと「作業」だけしていたかった。
楽だからストレスもなく、ただ自分の能力が高められていないことにだけ不安を感じていた。
新しいことへのチャレンジはせず、学ぶことも少なく、同じことの繰り返しだった。
仕事に学ぶことは少なくなったが、家事・育児では学ぶことは多く、出来るようになったことが増えた。
「中田敦彦のYouTube大学」をよく拝見してしているだが、仕事より家庭に比重をおいた時間の使い方をしていたと思う。
仕事・家族・健康・友人、この4種類のどれかに人間は時間を割いている。
本当に割くべき時間の使い方をしているか?という内容の書籍説明動画はとても心に刺さった。
5分くらい探してみたのだが思い出せなかったのでリンクを貼れないのが心残りだ。
私は家族と健康、そして少しの仕事と友人に時間を割きたいと思っている。
気づいたら18時30分になりそうなので今日はここまで。