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世間音痴が世間話をするとき
2025年になってもやはり人間のふりが振るわない。元気に挨拶したり、話題を提供したり、ほどほどに自己開示したり、相手に興味を示したり、共感したり、抜けの良い声で発話したり、表情や声色を使って感情を表現したり、ファニーなエピソードを開陳したり、相手の幸運を祈ったりするといった、我々が理想とする人間像のような立ち居振る舞いができない。一緒にいて楽しい奴、あるいは一緒にいて居心地の良い奴だと人に感じてもらうことに失敗している。
気温が低い環境でスマホを使用していると充電がすぐになくなってしまう。私のソーシャルバッテリーの減りが早いのも寒さのせいなのか。気持ちがまるで社交へと向かわない。家で曲を作ったり、本を読んだりしているときの落ち着き方といったらない。自分が自分でいられる唯一の空間、および時間。
最近は晩酌の習慣も復活しつつある。アルコールの作用により頭をぼーっとさせてだらだらとYouTubeを観ている時間が私にとっての幸福なのかもしれない。残念なことに。そういえば、お酒の味を覚えたのも一人で飲むようになったのがきっかけだった。
たとえば飲み会といった3人以上の人間が集まって世間話をする場では、聞き役に徹し、ほとんど発言しないので、しばしば「あなた、ぜんぜん口を利きませんね」と指摘される。人は極端に口数が少ない者に対して強い違和感を抱くようだ。
会話に参加せずにいると「機嫌が悪いのか」あるいは「発言するに値しない下らない会話だと思って見下しているのか」と訝る向きがあるかもしれない。たしかにそうした場面もあるにはある。しかし、その主たる理由は、世間話が展開される場においてどのような物理法則が働いているのかが理解できないからだ。要するに、複数人の間で交わされる会話の仕組みがちっともわからず、ただ立ち尽くしているのである。
世間話がなぜ成立しているのかがわからない人間からしてみれば、単に喋れないから喋らないだけの話に過ぎない。生魚が苦手な人が寿司や刺し身を食べないのと同じ理由だ。けれども、世間話を体得している側からすると、こちらが喋らないことに対して何らかの意図があるように感じるらしい。それゆえに「機嫌を損ねているのか」だの「レベルが低いと思って見下しているのか」だのの勘ぐりが働くのだと思われる。
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