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曲作りのメモ

引き続きトリプルファイヤー用の曲を作っている。すでにライブで披露していて、まだ音源になっていない曲のストックが10曲ほどあり、現段階でアルバムを作ろうと思えば作れる。それなのにまだ作る必要があるのかと訝る人がいるかもしれない。

そもそも、なぜ私はトリプルファイヤーで曲を作っているのだったっけ。余暇を曲作りにあてなければ、音楽を聴いたり、映画やドラマを観たり、本を読んだり、散歩したり、料理したり、英語の勉強をしたり、横になったりするのに時間を使える。それに作業をしたからといって時給が発生するわけではない。特別手当を受け取れる保証もない。それにもかかわらず、どうして。

思い出した。もっぱらの理由は、バンド活動を自分にとって楽しいものにしたかったからだ。楽しさとは、自ら環境に働きかけて初めて生じるものである。巣の中でぴよぴよ鳴きながら口を開けて待っていさえすれば、そのうち親鳥がやって来てご馳走を与えてくれるなどということは絶対にありえない。

あるとき、劇場で上映が始まるのを待っていたところ、『東京リベンジャーズ』の予告編が流れてきた。私はそこで「運命を殴り変えろ」という素敵なコピーに出くわした。ああ、そうだ。私は運命を殴り変えるつもりで曲を作っているのだ。要するに曲作りを通じて環境を作り変えようと試みていたわけである。

バンド活動にあって、もっとも楽しいのは、家でデモ音源を制作している瞬間にほかならない。深夜に作業をしていると、時間を独り占めしている感じがする。まさに私だけの時間。他方、作ったデモを元にバンドで形にしていくフェーズに入ると、思い通りにいかない場面が増えるから、楽しさよりも苦労のほうが大きくなる。さらには、目的が「自分が満足すること」から「聴いた人に満足してもらうこと」へとスライドするので、楽しんでばかりもいられくなる。バンド活動は私からするとあまりにも社会的すぎる。自宅での曲作りが楽しいのは、この作業が自己完結しているからだろう。私が楽しいと思えるものはどれも一人っ子の一人遊びの延長にあるものだ。

余暇を自分の趣味にあてるために曲作りを放棄することを検討してみる。改めて言うまでもなく自分のために使える時間は増える。けれども、それは同時に、バンド活動のなかでもっとも美味しい部分を捨て去ることを意味する。そこにはもはや苦労しか残らない。そして、曲作りをやめたとき、私は環境に囚われてただ一方的にタコ殴りされる存在となり、バンド活動は使役と化すだろう。そうならないためには、やはり曲を作ったほうが良さそう、という結論に至った。

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