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なんだか調子が出ないんだ日記、あるいはタナトスのチキンラーメン
疲れているせいなのか調子が出ず、自棄になり、帰りにスーパーに寄って5袋入りのチキンラーメンを買ってきてそのままボリボリ食べた。続けて2袋目を開け、時間を置いてから3袋目、4袋目と続けた。言うまでもなく塩分の取り過ぎである。猛烈に甘い飲み物が飲みたくなり、小雨の降る中、最寄りの自動販売機でデカビタCを買って一気飲みした。
案の定、早朝に腹痛で目が覚めてトイレに籠もる羽目になった。睡眠時間が確保できず、疲れが取れていない。しかしどうして人は休みを必要としているときに、かえって体を痛めつけるような行為に走ってしまうのだろうか。そういえば、千葉雅也が「タナトスのラーメン」というタイトルのエッセイを書いていたのだった。チキンラーメンをそのままボリボリ食べる行為は死の欲動の現れなのだろうか。『動くな、死ね、甦れ!』とでもいうような指示を自分に対して出している節はある。
近年稀に見る長さのお盆休みを取った。更新が滞っていたのはそのせい。休暇とはいえ、やるべきことが眼の前から消えるわけではない。行楽を楽しみつつ、休みつつ、だらだらしつつも、やるべきことに目配せしながら過ごさざるを得なかった。
誰であろうと面倒なことは避け、楽なことだけして暮らしていきたいという欲望を抱いているものだと思われる。あえて言うまでもなく当方も例外ではない。こんなふうに育ってしまったのは、人様よりもそうした欲望に素直に振る舞ってきた結果にほかならない。
しばし休憩を取ろうと一度腰を下ろしてしまうと、再び立ち上がろうとするのに莫大なエネルギーを要する。そういう意味で、ルーティンに則った生活を送りながら淡々とToDoリストをこなしていたほうが楽といえば楽だ。体を鈍らせずに済むからだ。日頃より疲れたもう何もしたくないと嘆いてはいるものの、日々何かしらの作業に取り組みながら暮らす方が自分には向いているように思う。
火種を絶やさぬようにするために薪をくべ続けなくてはならない、という強迫観念に突き動かされているところもなくはない。常にファイティングポーズを取って立ち続けていないと、無気力に襲われて、文字通り何もできなくなってしまいそうな気がするのだ。それこそビョンチョル・ハンが『疲労社会』で語っていたような症状である。パッションを人質に取られている感じ、といったら良いのだろうか。
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