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人間のふりを少しずつやめてみる

昔から「一月往ぬる二月逃げる三月去る」と言われている。早くも一月が2025年から脱落した。残されたのは11ヶ月。ご存知のとおり、2月は28日までしかないからもはや終わったも同然だ。

海外ドラマか何かを観ていたら、登場人物が「1ヶ月を28日に固定すべし」と提言していたのを思い出す。曜日が固定されるのでカレンダーを買い替える必要がなくなるのがこの暦のメリットだ。これを「国際固定暦」と呼ぶそうだ。1ヶ月を28日で統一し、1年を13月ヶ月とするのである。364を28で割ると13になるという計算だ。このように曜日が固定される暦には、ほかにも「世界暦」や「ハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダー」などがある。ちなみにエチオピアでは、1ヶ月を30日で統一し、余った5日を13月とする「エチオピア暦」が使用されているとのこと。

いずれにせよ、今月は28日までしかないので、幣定期購読マガジンを週に1度のペースで更新しないと自分の首を絞める結果となる。気をつけたい。しかし、おかげさまで今月も何かと忙しく、ぢつと手を見る。

このところ体調が芳しくないので自然と煙草の本数が減った。昔は帰宅したらまず一本吸っていたが、最近は換気扇の下まで移動するのが億劫で吸わずに済ますことも多い。一月前、台湾へ行くときに免税店で1カートン分買った煙草もまだ数箱残っている。いっそやめてしまおうか、と思うものの、万が一やめた途端に煙草および喫煙者を蛇蝎のごとく嫌う人間へと豹変してしまったら示しがつかないので、なかなか踏ん切りがつかない。

私がステージ上で演奏しているときに、棒立ちおよび仏頂面でいるのは、人間のふりをする気がないからという説が濃厚である。常識に照らして考え、私は人前で自分という人間を表現するのが苦手なのだと長らく思い込んだ。殻に閉じこもった内向的な人間なのだと。しかし、棒立ちや仏頂面は、むしろ自分らしい振る舞いなのではないかという気がしている。笑顔で楽しそうに演奏するのは自分にとって演技以外のなにものでもない。けれども、まさしくこの手の演技こそが人間社会の紐帯である。この頃は「表情管理」なる不穏な言葉も度々耳にする。

ときに、兼本浩祐『普通という異常 健常発達という病』(講談社)では、健常発達の人のさまざまの行動の大部分が、「色、金、名誉」で理解できるというのが世間的な人間理解の基本である、と書かれていた。「色、金、名誉」は他者からの承認を得るために欠かせない要素だといえる。他人から羨望の眼差しを向けられたいのなら、皆が欲しがるものを手に入れれば良い。他人からの評価(いいね)に執着するのも健常発達の特徴のひとつである。

世間を賑わすゴシップのほとんどは、「色、金、名誉」に関連するものだと言って差し支えないだろう。世間の興味関心の中心が「色、金、名誉」なのだとしたら当たり前の話である。これと同様に、犯罪の動機も一般的なのは、「色、金、名誉」に関連したものだ。

今後もし自分が刑法に触れて取り調べを受けることになった際に、はたして動機をしっかりと説明できるのだろうか、という心配が頭をよぎることがある。というのも、「色、金、名誉」への思い入れが薄い私は、これらとは別の動機で何かしらの罪を犯すに違いないと予想できるからだ。犯行の動機を先方に納得してもらうのに難儀すると思われる。追い詰められた結果、「太陽のせい」などと気障な台詞を口走って不興を買いそうだ。

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