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鳥居ゼミ 第8回 トリプルファイヤー『EXTRA』

この記事は、8月13日(木)に歌舞伎町ROCK CAFE LOFTで行われた鳥居ゼミで使用したスライドを再構成したものです。リーダビリティを優先して、講演の書き起こし風を装っています。イベントでお話した内容をそのまま文字起こししたものではないのであしからず。内容も多少異なっています。

この日の鳥居ゼミで取り上げたのは私が所属するバンド、トリプルファイヤーの新作『EXTRA』でした。当イベントでは、これまでにスティーリー・ダン『Aja』やニルヴァーナ『NEVERMIND』、スミス『Queen Is Dead』、トーキング・ヘッズ『Remain in Light』、ダニー・ハサウェイ『LIVE』を取り上げてきました。そこに自作を連ねるとはなかなか面の皮が厚い奴だなと我ながら思います。とはいえ、名盤とは言わないが、『EXTRA』は少なくともバンドのキャリアを代表する作品になったと自負しているのは事実です。


御挨拶

本日はお集まりいただきどうもありがとうございます。たくさんの方に集まっていただけてとても嬉しく思っております。本日は満員御礼ということです。一番好きな言葉かもしれません、満員御礼。それはさておき、本日もスライドが盛り沢山ですので、早速本題に入っていきましょう。

本日の趣旨

まず「どうしてこんなイベントを開催するのか」というところからお話していきます。その理由は至ってシンプルです。私が『EXTRA』の音楽的な側面について語りたいからです。その動機はふたつございます。

ひとつめの動機。それは「みんなもっとトリプルファイヤーの音楽について語ってくれよ!」という願いに由来するものです。トリプルファイヤーといいますと、もっぱら吉田くんの歌詞、あるいはキャラクターにスポットが当たりがちです。それはそれで歓迎すべき状況だと言うことも可能でしょう。他方、音楽的な部分がもっと言及されても良いのでは、とかねてより感じていました。要するに「寂しいなあ……私だってもっと褒められたいなあ……」という切なる願いを胸に抱いて毎晩床についていたわけです。

ふたつめの動機は、「坂本慎太郎っぽい」という指摘に対する違和感に端を発するものです。これは決して坂本慎太郎を引き合いに出されるのが嫌だと言っているわけではありません。誰かを引き合いに出されるのが嫌なわけでもない。

なんというか「地元の友達におまえそっくりな奴がいてさあ」と言われたときの戸惑いに近いのかもしれません。「え、ああ、そうなんだ、へえ……ハハ……」といった曖昧なリアクションを取らざるをえない。ピンと来ていないわけです。そもそも具体的にどのあたりが坂本慎太郎っぽいのかも判然としない場合が多い。歌詞なのか、歌唱なのか、サウンドなのか、雰囲気なのか、立ち位置なのか、アティテュードなのか、グルーヴなのか、パーカッションの有無なのか……。

いずれにせよ、ピンと来ない例を目にすると、「元ネタだったら無限にあるし、いくらでも開陳するし」と思ってしまうのです。私がオタクに育ってしまったばかりに……。本当にごめんなさい。

期待は失望の母である

「期待は失望の母である」という金言は大滝詠一が考案したものです。 一見すると「期待なんかするから失望するのだ。失望をしたくないのなら最初から期待するな」といったペシミスティックな態度に思えるかもしれません。しかしこの言葉には「他人に期待して失望するぐらいなら自分でやれ」という含意もあるようです。人々を鼓舞する意味合いがあるのですね。

他人に期待することは、自分の欲望を他人に投影することだと私は考えます。これは人間関係がこじれる原因の筆頭ですよね。親子、パートナー、上司と部下、師弟。こうした関係は相手に過度な期待をかけたことが原因で、しばしば破局を迎えています。本来はコントロールできようもない他人という存在をコントロールしようとして深みに嵌り、いつしか鬼と化してしまうわけです。

カラオケで本当は自分が歌いたくて仕方がないのに、勝手に曲を入れて他人に歌わせる人っているじゃないですか。こういう態度って本人にとっても周囲にとっても良くないと思うんですよね。自分が歌いたいのなら自分で歌う。恥を引き受けて歌う。自分のために歌う。単に歌う。粛々と歌う。

自分の欲望を他人に投影するのではなく、自分の欲望は自分で叶えるのが倫理的な態度ではないかと思います。先の「トリプルファイヤーの音楽についてみんなにもっと語ってもらいたいな……」という欲望に関していえば、「みんな」という抽象的な存在に期待するのをやめて、トリプルファイヤーの音楽を自ら語ってみるほうがより倫理的な態度だといえます。「引き合いに出される音楽にもっとバリエーションがあればなあ……」という欲望を胸に抱えているのなら、誰かに指摘されるのを期待するではなく、影響元や音楽的なコネクションを自ら開陳していく。不全感に苛まれて悶々としながら生きるのではなく、楽しく軽やかに生活するには、こうした態度が重要だと考えました。

お断り:これって私の感想ですよ

企画の性格上、作者という特権的な立場から語らざるをえません。とはいえ、私がこれからするお話は、あくまで私の感想に過ぎない。いわゆるワンオブゼムであって決して正解ではないのです。「このように聴いてください」と皆さんをマニピュレートする意図も一切ございません。「鳥居の野郎、また面倒くせえことを言ってやがらあ」といった調子で、苦笑いを浮かべながら聞いていただけたら幸いです。

ねらい:「ストップ・メイキング・センス」という構え

音楽は聴くのも楽しいし、語るのも楽しいものです。そもそも楽しくなければこうしたイベントを開催していません。他方、音楽について語る楽しさの魔力はなかなか侮れません。あまりに楽しいものだから、ろくに聴かないまま語るという行為に耽ってしまうこともあります。これは音楽を道具として使用する例のひとつだといえます。私は「音楽は聴いてなんぼのもの」だと考えています。つまり音楽は私にとって手段ではなく目的なのです。語りの愉楽に耽るにしても、まずは時間をかけてしっかりと聴くところから始めなきゃなと思っています。

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