今年達成できなかったこと、達成するつもりなどなかったこと
納まった奴らが都に跋扈している。納まった奴らが忘年会の様子をInstagramのストーリーにアップしている。そういうお前さんだって、所詮は納まっているのだろうと尋ねられたら、そうだと答えよう。しかし、私たちは知っている。私たちの魂が、真の意味で納まるのは、あの世からお迎えが来たときなのだと。
今年もまた、観ようと思っていた映画やドラマ、聴こうと思っていたアルバム、読もうと思っていた本を、観たり聴いたり読んだりしないまま終わってしまいそうだ。しかし、こうした欲望を叶えるつもりがなかったことなんて、初めからわかりきっていたのでは。
どうして私たちは端からやるつもりがないことを「やりたい」などと口走ってしまうのだろか。ダイエットにしたって家の片付けにしたって英語の勉強にしたってそうだ。そのつもりがないのであれば、自分に嘘をつかないで、そう認めてしまったほうがすっきりのではないか。ヨーダは言った。「やってみるんじゃない。やるかやらないか、だ。「やってみる」は存在しない」("Try not. Do or do not. There is no try.")と。
何かしらの欲望を叶えようとしたとき、意志の力や気合、根性は何の役にも立たたないことは今や明らかである。やる気スイッチなどこの世界には存在しない。我々が粛々と取り組まねばならないのは、環境や条件を整えることにほかならない。
NetflixやAmazonプライム、Disney+、U-NEXTなどを開き、何を観ようかと考えているうちに小一時間ほど経過していた、という経験は誰もが身に覚えがあると思われる。作品へのアクセスが容易になるのに比例して、映画を観る時間が昔よりもはるかに減っているという現実がある。選択肢が多すぎること。それが問題だ。
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