【5/24阪神戦●】次こそは、と思える力が、一番だいじ。
連敗中の負け方、というのは、たしかにこういうものかもしれない。そういえば、あの時も、あの時も、こんなことがあったような、気がしてくる。負け方のパターンというのは頭で思い浮かべる以上に、実はいろいろあるのだ。いや、当たり前だけど。連敗というのは負けが続くということなので
(いや、当たり前だけど。)、このパターンにたくさん出会えることになる。(いや、当たり前だけど。)学びである。こういうものも、一つの学びである。
それにしたってその学びが重なったところで、この痛みというものはいかんともしがたい。スポーツの試合というのは目の前で見るとなおさらに、あらゆる緊張感を持ってせまってくるものなのだ。喜んだり落ち込んだり、一つの試合で感情をジェットコースターのように上下させ、膝を叩いたり手を叩いたり、かと思えば深くふかあああああくため息をついたり、この3時間から4時間の間に、ほんとうにあちこちに気持ちが動く。
その紆余曲折を経て、「ああようやく連敗を脱出できそうだ…」と、思ったところからの、エラーからの、失点からの、逆転負けである。
つらい。こんなにつらいことって、人生でそんなに多くはないんじゃないかというくらいには、つらい。
しかし私は思うのだけれど、この人生においても結構上位に来そうなつらいこと、というのを、ヤクルトを応援するようになったこの数年の間に、まあ結構、両手の指では収まらないくらいには結構、たくさん、経験してきた。それはなかなかに、私を強くたくましくしてくれているかもしれない。(気のせいかもしれない。)
負け方のパターンというのは本当に多様だけれど、そのときの胸の痛みというのはまあ、だいたい同じだ。このしんどさ。そうそうそうそうそうそうだった、と、懐かしさすら覚えたのは、あの時もあの時もあの時も、胸の痛みは同じだったからだ。
負けたつらさ、勝ちきれなかった悔しさ(いや、でももうこうなると、悔しいというよりはつらいという気持ちが大きい)、このトンネルは抜けられるのだろうかという不安、ああ明日の仕事とか手につくんだろうかというかというほどの絶望、そしてもう一つ。
ああ、選手たちが心配。
目の前で、「9回裏ツーアウトランナーなし」からのエラーを見た瞬間というのはもちろん、「えええええええ・・・・」という気持ちも、なる。「泣きたい。」というのが、一番近い気持ちだと思う。そう、泣きたい。
でも時間がたつにつれ、そのエラーをした選手が一番、泣きたいよな。と、そう思えてくる。そりゃあそうなのだ。もうチームからも監督からもファンからもみんなから「お前が悪い」と言われているようなものなのだ。そんな立場に立ってしまったときのことを思うともう、「明日の仕事とか手につくんだろうか」どころの騒ぎではない。
あれは去年だったか一昨年だったか、優勝を目前にした試合で、塩見が後逸をして逆転負けをしたことがあった。その時も私は目の前で(外野にいたのでほんとうに目の間で)塩見のその後逸を見た。表情まで見た。そしてその直後、かけよってなぐさめる青木を、見た。
あのあと青木は言っていた。「あのミスを引きずるようなことになったら、一人の選手の選手生命を脅かすことにだってなりかねなかった。それだけは避けなくちゃいけない」と。
あの日の塩見のことを、青木は守ってくれた。今日の並木君のことを、だれか守ってあげる人はいるだろうか。並木君のこれからの「選手生命」のことまで、考えてあげられる人はいるだろうか。
並木君はエラーのあと、ものすごく申し訳無さそうに、塩見に頭をさげていた。「大丈夫って言ってあげて」と、なんだか私は祈るように思った。塩見の表情は見えなかったけれど、かけよって背中をたたいてあげて、と、そう思った。
これは明日にも、明後日にも、そしてこれからの選手生命にも、関わってくることかもしれないから。
誰にでもミスはある。でも「プロとして」とか、そういう枕詞がつくと、いややっぱりしちゃいけないミスってあるんじゃないか、とそんな気がしてきてしまう。そしてそれは、本人が一番、痛感し、抱えこむんじゃないかと思う。
でもみやさまの本に、古田さんに言われた言葉が書かれていた。「最後は命を奪われるわけじゃないんだから」と。そういう心持ちで、プレーすることだって大事なんだ、と。
いやそう、その通り。と、思う。最後は命を奪われるわけじゃない。どんなミスも、エラーも、当然ながら生死にかかわるほどのもんじゃない。自分も、誰か大切な人の命だって、奪ったわけじゃないのだ。あたりまえだ。だから「選手生命」だって、一つのミスで奪われちゃ、たまったもんじゃない。だいたい、そのミスが敗戦に直接つながったとしても、それまでにも生かせなかったチャンスも失点もあったのだ。
起こってしまったことはもう、仕方がない。深くふかあああああくため息はつくけれども、それでも私が願うのは、ミスした誰かが次にそのミスを挽回することだ。野球は毎日毎日試合がある。どんだけしんどいときだって、次こそは、と、思える力が何より、一番大切なのだ。たぶんそれは、見ているこちらも同じなのだろう。
そういったわけで私は明日も懲りずに「今日こそ勝てるかも知れない」というあの連敗中ならではの祈りのような希望を持ちながら神宮へゆきます。がんばれ並木くん、またその足をいかして、かっこいいプレーをたくさん見せてください。並木くんはきっときっと、それができる選手だから。
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