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【オフシーズン・ヤクルトエッセイ】ヤクルトが日本一になった時、神戸でレフトを守っていたぐっちのこと

3年前のオフ、こんなnoteを書いた。

そう、数字はとても明快にあらゆるものをあぶり出すけれど、それでも数字で計ることのできないものというのが、世の中にはたくさんある。

あの日のプレーにどれだけ励まされたか、あの日見た悔しそうな顔にどれだけ気持ちが揺さぶられたか、打席に立つ姿を見るたびにどれだけワクワクしているか、守備をする姿を見ることをどれほど楽しみにしているか、代打で出てくれることをどれだけ心待ちにしているか。それは、その思いは、どんな数字にも表れていない。

その「思い」は、例えばファンからの拍手によって表されるのかもしれない。一人の選手が積み重ねてきた歴史によって紡ぎ出される一つのシーンに、大きな拍手が送られる。それは、数字では表せないものだ。

日本シリーズ初日、現地にいる読者の方が、京セラにいるぐっちの写真を送ってくださった。そして、メンバー発表のとき、オリックスファンからも大きな拍手が上がりましたよ!と、教えてくれた。

その拍手は「立派な数字」に対するものでは、きっとない。だけどそれはもしかすると数字よりももっとあたたかい響きを持つものかもしれない。そんなふうに、思う。

三年前、私は「京セラのぐっち」を、見た。その年京セラで行われたオールスターで、ぐっちは「プラスワン」で選ばれたのだ。選出の速報がスマホにぴょこんと出たとき、私は人生で初めて「うれしくてその場にしゃがみこむ」というのをやった。大学合格したときとか就活で採用の連絡がきたときとかだって、そんなことやらなかったのに。あ、でも、運転免許の試験に合格したときは同じくらいうれしかったかもしれない(まじで自信がなかった)

阪神ファンの友達と、京セラの席に座り、「センターを守るぐっち」を眺めた。その時もたくさんの拍手がぐっちに送られた。なんせその年ぐっちは、139試合に出場し、打率.317、出塁率.406、不動のリードオフマンという立場を守っていた。メジャーから帰ってきた青木がセンターに入り、ぐっちは中学生以来のファーストに挑戦し、そしてしっかり、数字でも結果を残した。

オリックスを自由契約となり、がくんと年俸を下げてヤクルトに来たぐっちは、その年の契約更改で3年3億の契約を結んだ。それは美しい、「復活」だった。ぐっちの不屈の魂に、何度も何度も励まされた。あの日の京セラの拍手は、その「復活」への拍手だったように思う。

だけど一昨年の死球のけががあり、今年も自打球による怪我の離脱があり、それ以降ぐっちは数字の上では納得のいく結果を残せない年が多かった、と思う。(それでも2020年は9本というキャリアハイの本塁打数だったわけだけれど。)

今年ぐっちが残した成績は、25試合、打率.160。神宮でその姿を見ることも、なかなか叶わなかった。

だけど、日本シリーズを迎えるにあたり、ぐっちはなんと、一軍に合流した。

私にとって初めて見る日本シリーズ。東京ドームのバックネット裏に座ると、ぐっちはみんなと一緒にアップをしていた。にこにこと、笑いながら、たまにふざけながら。それはあの年、私が何度も何度も神宮でみた、ぐっちの姿だった。

その日はヤクルトのホームゲームとなる最初の試合だったからだろうか。選手一人ひとりの名前が呼ばれ、みんな一人ずつ、グラウンドに並び、スタンドに挨拶をした。ぐっちの名前が呼ばれた時、そう、東京ドームでも、大きな大きな拍手が、一塁側からも、三塁側からも、送られた。私も同じように、拍手を送った。手が痛くなるくらい、何度も、何度も。それは3年前に京セラドームでの「復活」の拍手とはまた違う響きで、耳に届いた。

ヤクルトが日本一を決める、その瞬間、ぐっちは神戸のレフトを守っていた。今年の数字は、本人にも納得できるものではなかったはずだ。だけどそれでも、ぐっちは日本シリーズを古巣相手に戦い、両チームのファンからあたたかい拍手を受けた。そして、ヤクルトが日本一を決める瞬間に、縁ある神戸の球場で、レフトを守ったのだ。

優勝することも日本一を決めたことも、ほんとうにほんとうに素晴らしかった、うれしかった。そして私は同じくらい、そこにぐっちがいてくれたことが、うれしかった。

長いプロ野球人生、いいことももちろん、そうじゃないこともある。しんどくて、悔しくて、ふがいなくて、もしかしたら表に出ることさえつらくなることもあるかもしれない。いいことばかり、というわけにはいかない。年俸はそのシーズンの数字をダイレクトに表す。厳しい、厳しい世界だ。

だけど長く続けていくことで、その選手には、その選手だけの物語が生まれる。それは、その選手人生を彩り、思わぬ形で、喜びの瞬間を作り出す。それがぐっちにとっては今年の、京セラドームでの拍手であり、神戸で決める、日本一の瞬間だったのかもしれない。

続けることで、物語は深みを増す。それを見る私たちにも、素晴らしい瞬間を届けてくれる。そんな時に、心から思う。ぐっちのヒットも、ホームランも、華麗な守備も、そしてエラーも凡退も。もしかすると、前の球団をやめることになったことも、挫折もなにもかも。意味がないものは、一つもなかったのかもしれない、と。

しんどいことはたくさんある。なんで自分だけ、って思うことだってもちろんある。隣にいる人の人生がキラキラと輝いて見えて、これでいいのだろうかと悩むことだってあるかもしれない。だけど、そこでくさらず何かを続けていけば、コツコツと素振りを続ければ、きらりと輝く瞬間は、またきっと巡ってくる。それは立派な数字に表れるものではないかもしれない。記録に残るものではないかもしれない。もしかしたら、誰の記憶にも残らないかもしれない。だけど自分の脳裏にはしっかりと刻まれる、大切な宝物になるんじゃないか、そんな気がする。

少なくとも私には、あの瞬間神戸を守っていたぐっちの姿を、東京ドームでみんなと一緒にアップをするぐっちの姿を、それを見ることができてよかったと、心からそう思う。それは私のこれからの「ヤクルト応援史」の中でも一、二を争うくらい、印象深いシーンになるような、そんな気がする。

光り輝く瞬間が、そう何度も何度も訪れるわけじゃない。たけき者もついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ。だからもしかすると本当に大切な記憶は、栄光の瞬間ではなくて、あたたかい拍手を受けたその瞬間なのかもしれない。それが本当の意味で、その人の人生をあたためてくれるのかもしれない。

数字に表れないものにも、大切なことはたくさんある。

ぐっちが積み重ねてきたものを、そのどれもを、愛しいと思う。大切だと思う。それがこれからだってぐっちの野球人生を、そしてそのあとの人生をそっとあたためてくれますようにと、そう願う。

大人になればみんな少しずつ、何かを失いながら生きている。だけど何歳になったって、何かを得る瞬間は、それを受け取る瞬間は、必ずあるのだ。

素敵な日本シリーズを、改めてありがとう。

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